意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2013/12/12

 突き放された私は立場的には、屈辱的な気持ちというよりも、自分の抱いていた割り切れない気持ちに対して同意を得られたような気になり、晴れやかな顔をして西門へ戻った。教師の方が

「そういう事情なら仕方ない、今回は特別に」

 という反応をしたら、私は混乱しただろう。私はこの当時から「例外」とか「特別」という言葉に対して融通がきかないところがあった。私はその後この特徴のためにだいぶ損をした。

 私が要求が通らなかったことを手短に班のメンバーに伝えると、私は手短に状況を説明するのが得意だったのだが、私の予想に反し、みんなは黙って再び竹ぼうきを手にした。私の予想とは、私の得られなかった成果に対して責められる場面で、女子生徒は

「ちゃんと言ったの?」

 と詰め寄ってくる姿であり、私はその女子生徒がその時セーラー服を着ていたのか、それともジャージであったのかは、今ではもう思い出せない。掃除中は汚れてしまうという理由からジャージを着用する決まりがあったかもしれないが、もう守られない決まりだったかもしれない。私達のジャージとは、全体が紺色で、脇に学年のカラーが入って、私達は緑だった。そんな姿で合唱をする姿は滑稽かもしれないが、私の通う中学は周りにたくさん田んぼがあったから、不自然ではなかった。

 西門は県道に対して垂直に面しているわけではなく、少し入って左に門がある。門の前はスロープになっており、校舎は道よりも一段高い場所に建っている。スロープは白いコンクリート製で、滑り止めのために横向きに溝が入っている。溝には細かいホコリや泥が入り込み、竹ぼうきでかき出すといくらか溝の中は綺麗になったが、しかし完璧に綺麗にはならなかった。西門担当の体育教師が、一体何を基準にして、溝が綺麗なった、ならなかったを判定するのか、私には全くの不明であった。

 ところでスロープの脇には、コンクリートで囲まれた植え込みがあり、その中には女子生徒をかたどったブロンズ像があったが、そんなものはなかったような気もする。女子生徒は立って本をめくっているところで、本全体はだいぶめくれている。私はこの文章に興味を抱いてきたので、帰りに車を走らせて中学の前を通ってみようかと思い、心が弾んだが、中学は私が大学の頃に打ち壊されて新しい建物となっていた。西門がそのまま存在しているのかはあやしい。西門を出てすぐ脇には給食センターがあったが、これは今ではもう移転しているそうだ。この給食センターで作られた給食は私たちの中学には届けられず、別の小中学校に配られていた。私たちが食べる分は別の給食センターが運んでくる。市内の給食メニューは全て統一されているから不便はないが、だからこそ奇妙な感じがした。給食センターの建物はテニスコートからよく見え、私はテニス部に在籍していたから頻繁にその建物を見たが、私はあまり部活をさぼってばかりいたから、実際はあまり見なかった。

 

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西門