意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/1/11

 マラソン大会で賞状をもらえるのは7位までと決まっており、その当時私は2年1組だったが、1組で7位入賞を果たしたのは私だけであり、担任はそのことをレースの直後に知ると、「なにやってんだ」と言い落胆した。担任は定年直前の女教師で、一方私はその当時は小児喘息を患っており、喘息とは発作が起きると呼吸が浅くなって肩で息をするようになる。とても苦しいし、喉からはひゅーひゅーという音がして鬱陶しい。喘息は2歳の時に初めて発作を起こし、その時私はチアノーゼを起こしたので両親は慌てて隣の自治体にある、大きな小児病院へ連れて行って治療を受けた。それ以降私はまだ幼かったので、発作が起きると、ひゅーひゅーが始まった、と両親は表現した。

 私が小学校4年になるまでは、マラソン大会は学校の近くの田んぼ道で行われた。ゴールした直後の私はその場にへたり込むのを必死に抑えながら、なんとか畦の脇のくぼみまで行き、そこに腰を下ろした。草の上なら柔らかいから座っていても、不自然ではないし、座っている人も大勢いるから平気だろうと判断したためだ。

 私はひゅーひゅーが起こってしまうのではないかとひやひやしながら必死で呼吸を整えた。レース直後で全員の呼吸は乱れていたが、私の乱れ方が断トツであると、自覚していた。私は余計な行動や言動は控えてじっとした。

 私の学年はクラスが3クラスまであり男女合わせて100人くらいの生徒がいて、マラソン大会では男女が別々に走っていくので、私は約50人中の4位だ。私がくぼみで休息をとっている時は、周りには女子もいてなんとなく終わりな雰囲気だったので、おそらく女子が先に走った。

 私がゴールした時すぐに小さい折り紙くらいのサイズの青い紙を手渡され、そこには4という数字が書き込まれていた。その数字を見た時に、私はどんな気持ちだったのかはおぼえていないが、私はとにかくこの息苦しさがひゅーひゅーに発展すれば厄介なことになるぞと思っていた。ひゅーひゅーがどんどん酷くなれば苦しいのだが、それよりも恥ずかしい気持ちがあった。担任がその辺に散り散りになっている生徒の中から、主に足の早い生徒を選んで順位を訊いて回っていると、それは野戦病院で怪我の具合を確かめる医者のようだったが、やがて私のそばまでやってきた。私は息を止めて呼吸の乱れを悟られないようにして、黙って青い紙に書かれた順位を示した。おそらく青である理由は男女を区別するためで、女子は赤だったのだろう。担任は私の順位を見て嬉しく思ったのかもしれないが、それよりも上位をほとんど別クラスに持っていかれたことに落胆した。

 結局その時の呼吸の乱れはひゅーひゅーには発展しなかったので私は安堵したが、私は中学くらいまではよく発作を起こし、よく学校を休んだ。発作がひどければ病院へ行き、処置室にある吸入器で白くて冷たい空気を小一時間吸い続けた。効果は抜群で、驚くほど状態は良くなった。私は今この文章を書くまで、その当時のことなどすっかり忘れていたが、大人となった今思い返してみても、まるで魔法のような効果だった。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門