意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/1/30

 人形は各自にそれぞれ自分の道具を持っているが、それらは細かくて大変小さい物なので、それを人形の手に持たせるのに、私たちは大変苦労をした。1番大変なのは五人囃子の太鼓の係で、太鼓自体は地面に置くのでそれほどでもないが、ばちに関しては太鼓係の手は、最初から指で輪がつくられそこにばちを差し込めばいいのだが、その輪が大きくて緩いので、ばちを差し込んでもすぐ落ちてしまい、私たちは諦めてかたわらに並べておくという年もあった。
しかし五人囃子に関しては段の上の方の存在で、弟の手は届かないのでまだよかったが、問題は履き物係等の3人組だった。こちらは真ん中が台に載せた履き物を持ち、両サイドは槍を抱えている。槍ではなく旗だったかもしれない。槍の柄は、着物の皺の間に差し込んだりすればいいので、比較的セットするのは簡単で、これは口頭で指示するだけで弟にもできた。しかし、この3人組には被り物もあるのだが、この人たちは位が低いため、上の段の人たちのような大袈裟なデザインではない。そうするとシンプルで付けやすいと思うかもしれないが、実際は製作者の方も手を抜いているような、非常に雑な作りで、厚紙を鐘の形に切り取ってそれを2枚貼り合わせているだけのものであるので、広げて頭にはめ込もうとしても、固くてうまく広がらない。わずかに隙間をつくって頭に載せ、端っこに紐がついているので、それを顎の下まで通して結んで固定するらしいのだが、3人組は大昔の髪型で頭は禿げ上がっているので、帽子は頭の上で固定ができずに滑り落ちてしまう。私は最初の何年かは頭に載せようとトライしてみたが、うまくいかなくてイライラしてしまうので、最近では始めから付けることを諦めて人形の傍に放置している。五人囃子の楽器を放置してしまう年もあった。

 しかし今年は弟が履き物持ちの3人組の被り物に興味を示したので、私は一応取り付ける手順を説明してみたが、やはり幼稚園児の弟にできるはずもななかった。弟は癇癪を起こし始め、手始めに雛飾りの赤い敷物を力任せに引っ張ろうとしたら、さすがにそれは大惨事になるので、母が咎めたらますます怒り出した。

 私は弟の気を他にそらそうと思い、1番下の段にあるオルゴールを手にとって、後ろのダイヤルを大急ぎで回すと「ひな祭り」のテーマがアップテンポで流れ始めた。しかし弟は私の手からオルゴールをひったくると、その表面には桃の木のイラストとともに、妹の名前が毛筆で書かれていた。これは人形屋の方の名入れサービスで、この雛飾りが間違いなく妹のものであるという証にもなった。

 その妹の名入りのオルゴールを、弟は畳に向かって放り投げた。オルゴールの音は一瞬外れたが、すぐ後に若干テンポを落としながらも変わらず音楽は流れた。

 さらに怒りのおさまらない弟は、私が密かに視線を送り続けていた、青いスカートの女の冊子をびりびりに破き、さらにはそこに小便をかけた。青いスカートの女は、もう雛飾りの作り方の手順もわかっているので用済みとなり、捨てられてしまった。

 

 ところでこの雛飾りや五月人形は、8畳の座敷に飾られていたが、そこは家族の寝室も兼ねていた。私たちは5人家族であり、私は小学5年の頃からは自分の部屋のベッドで寝るようになったが、それまでは5人で川の字で寝ていた。3月と5月の間は人形のおかげで部屋が狭くなったので、川の字の間隔は狭くなった。

  私は小学5年になると自分の部屋でひとりで寝るようになったが、ベッドはもっと以前から部屋にあった。それは元は母親の弟のもので、これは私が喘息になった際、担当医師から、喘息患者は布団よりもベッドで寝た方が、床に落ちているホコリを吸い込まないので良いとアドバイスを受けたために譲り受けたのである。しかし私が喘息になったのは2歳のときだったので、家族と布団で寝たいと主張し、親もそれを受け入れた。小学4年くらいになると恐怖心も薄れてきたのでひとりで寝るようになった。

 

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門