意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

意味を喪う(3)

小説を書く、と風呂敷を広げてはみたもののなんやかんやで放置していたらすっかりとっかかりをなくしてしまった。いつでも書き出せるようにと携帯を常に持ち歩いていたが、小説を書くために持ち歩いているわけでもなかった。携帯は春から二台に増えた。会社用のである。会社用はiPhoneで、iPhone6であった。誰かが
「もう少し待てば6sが出ますよ」
と教えてくれたがそんなものどっちでも良かった。営業の中にはまだ5sを使っている人もいた。
「これくらい小さい方がいいんで、大事に使っています」
と彼は話すがケースはぼろぼろだった。大事にとは愛着のことでたまには噛みついたりするということだろうか。彼はよくお客さんを噛むことで評判の営業だった。会社の営業はルート営業だから彼をよく知るお客さんは自分が噛まれないように、葉っぱを用意した。葉っぱというのは葉っぱだった。私の中学時代の英語教師が給食の時間に底の浅い食缶をあさりながら、
「葉っぱも食べてください」
と私たちに注意した。英語教師なのに粋がって英語を使わないのは奇妙だった。とにかくそれは野菜のことを葉っぱと言っているのであり植物とは花と実と茎と根を除けば葉だった。お客さんが噛まれ避けに用意したのは正真正銘の葉っぱで野菜ではなかった。ミントとかそういう種類だった。噛むと味がでるようなやつとか。そういうのをむしゃむしゃやると、この営業はだんだんと気が落ち着いてきて冗談のひとつやふたつも言えるようになった。そうやって会社に帰ってくると
「今日も棚尾さんの話してきましたよ」
なんて私に報告してきた。嘘に決まっている。彼は若いから相手が主人公になるような話をすればとにかく相手が喜ぶと思っていた。大間違いである。私は彼がとにかく早く日報を打って部屋を出て行ってくれないかと願っていた。なぜならその部屋には端末がひとつしかなく、彼が帰ってくると明け渡さなければならなかったからだ。彼、彼、面倒くさいから名前を明かすと志村という名前だった。非常に若いから
志村けんと同じだね」
と指摘しても志村けんが誰だかわからないかもしれない。しかし志村はまだまだ現役で番組も持っていた。ゴールデンで見られるのはもう志村だけだ。残りのメンバーーーいかりやなんかはもうこの世ですら見られない。私はカトちゃんケンちゃんごきげんテレビの世代だった。あれの一本目と二本目のコントの間に視聴者のビデオ投稿コーナーがあって、カメラを持っていない人には貸し出しますよと、毎回カトちゃんがカメラを担ぎ上げて言っていた。女のアナウンサーだったかもしれない。とにかく当時のビデオカメラは担ぎ上げるくらいの大きさだった。

若い営業は本当は志村という名前ではなく、首都高のとあるジャンクションと同じ名前だった。ラジオでよく名前の上がるジャンクションだった。私は以前はラジオを聞きながら仕事をしていたが、春から違う部屋に異動した。それまで志村とはあまり話をしなかった。志村は噛み癖のある営業だとは知っていたが関わりがほとんどなかったからあまりそのことを真剣に考えたことはなかった。それよりもトイレ掃除を真面目にやらないからムカついた。私は内勤だったからトイレ掃除にかんしてはかなり厳しく指導された。元は月に二回やらなければならなかったのを先輩が所長にかけあって一回にしたらしく、そのことを恩着せがましく私に教えてくれた。トイレを綺麗にするには便器よりも床を磨くことに注力すべきだと先輩は言った。床は必ず雑巾で磨いた。リノリウムであった。落ちない汚れもあった。それはクレンザーを使って削り取った。落ちない汚れとは営業の革靴の痕であった。志村は今月靴を新調した。しかし志村を初めとして営業は床など磨かず便器だけがトイレ掃除だと思っていてしかも便器も裏側はノーマークだった。志村はトイレに床があることすら知らない風であった。

ようやく日報の入力を終えた志村はログアウトしながら顔を上げ、
「棚尾さんのブログのこと篠田さんに教えましたよ」
と私に言ってきた。