意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(11) - (15)

※前回

余生(6)-(10) - 余生

 

 さっきからH・Kくんの話ばかりが続くので、バランスを取るために、彼が入る前のエピソードを挿入しようかと思ったが、それよりもいつのまにか月がかわり5月となり、気がかりなことが2つほどあるのでそちらを先に書く。この小説の冒頭で、私は花見に参加したと書いたがそれは4月6日の話で、そのときネモちゃんは幼稚園児ということだったが、実はその2日後の8日に入学式があり、ネモちゃんは小学生となった。小学生は班の人と歩いて学校へ行く。班の人とは自宅から100mくらい歩いた先の、ゴミ捨て場の前で7時25分に集合と決まっていたので、そこまでは私が送って行くことになった。ゴミ捨て場まではカーブが2つあり、さらに上り坂となっていて、ネモちゃんは

「どうして学校ではバスが迎えにこないのか」

 と文句を言った。私は

「確か、アメリカの学校はバスで行ってたと思う」

 と答えた。私は日本の治安の良さを暗につたえたくて言ったが、ネモちゃんにはわからなかった。

 坂を登り切ったところで黄緑色のジャンバーと帽子をかぶった人たちがいたので、私は

「よろしくお願いします」

 と挨拶をした。黄緑色の人は、児童の登下校をボランティアで見守る人で、仕事を定年退職した人が、自治体に登録をして行っている。その中には先月の夢で死んだオカダさんがいて、オカダさんは先に私の姿を認めたので

「1年生なんだ?」

 と声をかけてきた。私の方はそのときに初めて夢であったことに気づいたので驚き、驚く前は馴れ馴れしく声をかけてくる年寄りだなと思った。よく見たらオカダさんなので、

「オカダさんもくっついてってくれるんですか?」

 と私は急にフレンドリーな顔をして話しかけた。私は、5人いる区長の中では、オカダさんに1番親近感を抱いていた。区長は全員が見守りボランティアに登録して、代わり番こに児童の登下校に付き合うこととなっていた。

 ネモちゃんが1番最後に集合場所にたどり着き、その時には班のひとりの男の子がゴミ袋に蹴りを入れていた。班長は6年生の女の子で、黄色い班旗を携えていた。ネモちゃんが到着すると、ネモちゃんはその班長のすぐ後ろをついて行った。その日は燃えるゴミの日で、ゴミ袋は私の背よりも高く積み上げられていた。やがて収集車がやってきた。

 それからおよそ1ヶ月が経ち、ゴールデンウィーク直前になるとネモちゃんは突然

「学校へ行きたくない」

 と言い出した。

 それは朝の話で、私たちは毎朝6時半に起床することとなっており、ネモちゃんは3月に子供チャレンジから送られてきた喋る目覚まし時計で起きるようにしていた。ネモちゃんはそれを大変気に入っていたので、目覚ましの音を自分の手で止めたいと思っていたので、自然と自分で起きるようになった。最近では服も自分で前日にタンスから出し、段ボールの横へたたんでおいて、朝になるとそれを着た。段ボールはとても大きなものであり、それはつい一週間ほど前に無印良品で買ったビーズクッションが入っていたものだった。このビーズクッションは、ネットで紹介されていたのだが、それを見たら私はとても欲しくなり、元々私たちの部屋にはこうしたクッション類はなく、私が本を読みたい時には畳に寝そべって読んでいた。私の部屋の畳は8畳だった。だがこうして本を読んでいるとだんだんと体が痛くなり、しかも私は1年前にはぎっくり腰にもなっていたので、尚更ぐあいが悪かった。仕方なく寝巻きに着替えてベッドで枕を縦にして読んだりするのだが、ネモちゃんが寝る時間となって消灯をすれば、それ以上は読めないのである。

 私は反射的に

「じゃあ休んじゃいなよ」

 と言い、私はまだ布団の中にいたので、まるで寝ぼけて適当なことを言っているような感じだったが、私の頭はさえていた。妻はすぐに

「なんで?行きなよ、明日休みでしょ?」

 と怒鳴り声を上げ、妻はなんでもすぐに怒鳴り声を上げる女だった。私は彼女を挑発する意味もこめて、娘に休めと言っている節もある。

「なにかあったの? 誰かにいじわるされた?」

 私は一応父親の風を装って、質問をしてみたが、別に理由がなんであれ、休むと言うのなら休ませた方がいいし、このまま学校へ行かなくなってくれた方が良いくらいに思っていた。娘が言うには前の席の男の子が、虫を捕まえて自分の顔を近づけてくるのが不快だからと言い、けれど隣の席の女の子とは仲がいいので、行きたい気持ちもあるので葛藤していると言った。妻は今日は心電図の検査がある日なのに、休んだら困ると言い、私は1年生に不整脈の疑いなんてないのだから、わざわざ検査なんて受ける必要はないのだから、改めて妻の的外れぶりにうんざりさた。しかし妻が言うには検査を休んだら、後日市内の総合病院に改めて受けに行かなければならないよと言い、確かにそれは面倒な話だった。私の住んでいる市内には3つの大きな病院があり、そのうちのひとつは私の祖母が死んだ病院で、祖母は亡くなる直前には見舞いに来た私の父の顔も判別できなくなっていた。祖母とは父方の祖母のことである。

 解決策として、妻は心電図の時間だけ車でネモちゃんを連れてって、終わったらすぐに帰ってくればいいのではないかと提案してきた。が、私は学校へ行って件の男の子に会ってしまったら、いやそれ以外のクラスメートでも、授業をサボっていると思われて、イジメを増長させるのではないかと恐れた。結局とりあえず学校へ電話してみるということになって、ベッドからは出た。妻はどちらにせよもう今日の自分の仕事は休むことに決めたので、浮き浮きしていた。調子に乗って私にも休んだら? と言ってきて、確かに私は朝から喉が痛くて、本当に休むに相応しい人間は実は私であるのだが、私は今日はちょうど梱包のローテーションに当たっていたので

「休まない」

 と答えた。それに今日は新人社員の研修の日でもあった。

 妻は急いで化粧をして、ゴミ捨て場にネモちゃんの欠席届を班長に届けに行った。欠席届を班長に渡すのは、私が小学校当時から全く変わっていないシステムだった。届の用紙自体も変わっていないのかもしれないが、私はもう覚えていない。私は小学校の頃は喘息で頻繁に休んでいたので途中で紙がなくなったので、母が同じくらいの大きさに紙を切って代用した。ネモちゃんがつけている1年生用の名札は私の頃のものと全く同じデザインで、クラスごとに色が異なるのだが私もネモちゃんと同じ1組で赤色だったので、懐かしかった。それから8時くらいになれば先生も出勤してくるだろうと予想をし、私の家には玄関に固定電話があるので、妻は8時になると玄関へ向かった。その頃にはネモちゃんも私服に着替え、Eテレの番組を見ながら、学校をサボることに対する後ろめたさは全くないらしく、朝ごはんを食べる私に体をくっつけてきた。

 電話の終わった妻がこっちへ来て喋り始め、聞いてみるとネモちゃんのイジメに対する担任の反応は薄く

「ちょっと気をつけて見てみます」

 と答えただけで、妻は物足りない様子だった。私も同じ気持ちであったが、朝だからバタバタしているし、また夕方とかに改めて電話してくるんじゃない? と教師をフォローした。教師とは、1年生は3組まであって3人いる教師の中では1番若い風貌で、それは私が1年生のころと全く同じ状況で、とうじの私は自分の担任が1番若いことに喜んだが、実際は逆で若い方がキツイということを、その後で知った。妻の情報では娘の担任は、25歳か35歳であるらしく、どうしてその間がないのかは不思議だが、私は25歳だとしたら新卒でまだ3年しか経っていないということになるので、35歳ではないかと思った。妻は

「25歳と言われればそう見えるし、35歳って言われればそう見えるよね」

 と言った。ただし私たちはまだ、彼女の入学式の時のスーツ姿しか見たことがないので、普段のファッションを見たら(公務員なので地味な服だろうが)どう見ても20代、あるいはその逆となるのかもしれない。35歳だとしたら私とほぼ同い年なので、私はもう少し年上がいいと思うだろう。ネモちゃんが幼稚園だった時の担任は、27歳でこれは私の部署へ来ている派遣社員の男と同じ年であるが、若いけれどもしっかりと話をするし、幼稚園の教師とはクラスだよりなんかでは、紙にびっしりと細かい手書きの文字で園児たちの様子を伝えてくるので、私はいつも恐縮した気持ちになる。しかし今のご時世なのだから、PCを使えばもっと教師の負担を減らせるのではないかと思う。