意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(26) - (30)

※前回

余生(21)- (25) - 余生

 

前述の通り妻は家族と浅草へ行き、しかも先ほどスカイツリーに行くという連絡がきたので、私は駅まで行く足について考えなければならなかった。駅までは私の家から4キロほど離れている。駅まではバスで行けるが、お酒を飲むとなれば帰りの時間が読めないし、時間を気にして飲んでも楽しくはない。それならタクシーに乗って帰ればいいのだが、「タクシー」という単語を口にすると、妻は途端に機嫌が悪くなる。それは私が料金を支払う場合でも変わらない。妻は帰りは自分が車で迎えに行くと言い張るが、私の家から浅草までは2時間はかかり、さらにスカイツリーに登るのは9時になってからというのだから、飲み会の場所を都内に変えなければ迎えは無理だった。結局私は自転車で駅へ向かうことにした。

 駅へ着くと有料の駐輪場に自転車を停め、改札前で友人を待っているとメールが入り、人身事故があって15分くらい遅れるというので、私は本屋を眺めたり、壁のポスターを見たりして時間をつぶした。ポスターには鉄道開業80周年と書かれていて、駅名の由来が書いてあった。駅名は私の住む市の名前だったので、市の名前の由来でもあった。改札の反対側に窓があって、窓は換気のためにわずかに開き、そこから線路を見下ろしているとやがて電車が来た。私は改札に意識を集中して、改札を通る人々の中からYさんをいち早く見つけ出そうとした。というのも私は半年ほど前に髪型を変えており、オレンジブラウンに色も染めたのでいたので、Yさんが見落とすことも十分考えられたのである。それまでの私は比較的髪は長めで、美容院へも3ヶ月に1度しか行かなかった。当時切ってくれた美容師は私よりも5歳上の女性だったが、私に

「耳を出す髪型は絶対に似合わないからやめた方がいい」

 と忠告し、私はそれを守った。1年ほど前にこの美容師は2度目の産休に入り、1度目の産休のとき、代わりに私の髪を切った美容師は男で他のスタッフからは「先生」と呼ばれていたが、先生は大変握力が強いのか、肩を揉んでもらったあと翌日にはひどいもみかえしになってしまった。

 私の筋肉は柔らかい方で、もみかえしになってしまったのは後にも先にもこの1回だけだったので、「もみかえし」という単語が私のイメージ通りの意味なのか気になり、webで調べてみることにした。

 

「揉み返し」の原因と思われる時のあなたの筋肉の状態を思い返してみて下さい。
揉まれている時、痛くは無かったですか?
その痛みを我慢する為に筋肉に力が入っていませんでしたか?

強い力で揉まれるとそれを我慢する為に筋肉に力が入り、筋肉が硬くなります。
硬い筋肉を更に強い力で揉むと筋肉の繊維が切れます。
この切れた部分が後刻、炎症となって痛みます。
この痛みが「揉み返し」と言われているのです。

通常、揉んで気持ち良くする事を、「揉みほぐす」と言います。
ほぐす為には筋肉に力が入っていては、ほぐせません。
「あ~、こいつへたくそだな、全然痛くない、揉まれている気がしない」と
思うやり方のほうが緩んだ筋肉をほぐす意味で、効果は大きいと思います。

申し訳ありませんが、横浜では知りません。

http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1246660357

 

 ひとり目を出産した後、美容師が職場復帰をしてから私の家でもネモちゃんが生まれ、それから私たちは、主に子供の話をするようになった。美容師の家の子供は男の子で、男の子だからやはり甘えん坊であり、いまだにシャワーのお湯を怖がるから頭からかけられないと言っていた。対して私はネモちゃんが自分で立てるようになったころから、お構いなしにじゃんじゃんシャワーをかけまくった。私は志津のときに子供の体を洗うことに慣れていたので躊躇はしなかった。私は独身のころからその美容院には通っていたので、志津のことは面倒なので伏せていた。私のワイルドな行為については美容師は

「やっぱり女の子だから平気なんだね」

 と勝手に納得した。

 ある時アシスタントの人に髪を洗ってもらっている時に、私は油断をして

「7歳離れていても、まともに喧嘩になるんですよね」

 と口を滑らせた。当然相手はなんの話をしているのかわからなくなり、その美容室では髪を洗う最中はおでこに和紙を貼って水がかからないようにするが、美容師(アシスタント)がなんと答えていいのか戸惑っていることは気配でわかった。私の頭を洗うわしゃわしゃという音が聞こえ、そこの美容院では天然素材のシャンプーを使っていることが売りであった。咄嗟に私は、当時は義妹も一緒にくらしていたので、志津は義妹の子ということにして、義妹は出戻りである風を装って

「今家にいるんですよね」

 と嘘をついた。家にいるのは嘘ではなかった。おかげでなおさら気まずい雰囲気となったので、話題は違う方向になり、その後も私は図々しくもその美容院に通い続けた。志津のことを訂正する気はなかった。

 

 それから数年後に私は美容院を変えるわけだが、そこは店用の駐車場がなく、しかしサイトを確認すると「P有」と出ていて電話をすると、駅前の有料駐車場に停めてくれ、帰りに割引券を渡すから、とのことだった。駐車場は葬祭場の隣にあって、柵の向こうに線路が見え、大変日当たりの良い砂利の駐車場だった。入口の発券機のすぐ前になぜか木が一本植えてあって、それは鉄パイプの柵でがっちり囲まれ、店に行くと受付の女の子が

「ぶつけませんでした? 結構キケンなんですよね」

 心配してくれた。女の子は赤紫色のベレー帽をかぶっていた。店は駐車場から少し歩いたところにあり、途中には弁当屋があり、弁当籠を持った作業着の男が数人私の前を横切った。線路に突き当たって右に曲がり、建物の2階が店であった。待合の椅子に座るとまず最初にアンケートがあり、質問項目の中には

〈美容師との会話は望みますか?〉

 という質問があった。私は迷わず

〈積極的に喋りたい〉

 に丸をつけ、その後カラーリングが始まると、すぐに自分には娘が2人いることを打ち明けた。髪を切ってくれた美容師は男で、そのときは2月でちょうど志津の卒業式が来月だったのでそのことを話すと、急に改まって

「おめでとうございます」

 と頭を下げた。私は、この人はこの次も店に来てもらいたいたくてこのように丁寧に頭を下げるんだなと解釈したが、安心もした。店の中は凝ったインテリアが並び、洋書の詰まった本棚があり、壁面の一部には無音で映画も流されており、私はこの店に似つかわしくない客ではないかと気後れしていたからだ。

 改札でYさんを見つけるよりも先に、見覚えのある顔を見つけ、私が見続けていると、やがてその人は私に気づいて私の方へやってきた。その人は都内のホテルで営業をしていると、以前聞いたことがあって、おそらく仕事帰りなのだろうと容易に想像がついた。スーツ姿であったがネクタイは締めていなかった。

「体育委員、やめられたの?」

「さすがに四年もやったらもう十分ですよ。次の人も決まってましたし」

 その人は私よりも1年早く体育委員をやめていたので、私が3月でやめたことは知らなかった。体育委員も区長もK地区では2年が任期なので、その人が3年でやめたために、今はそこの地域だけ任期がずれてしまっている。しかしその人がまるで無責任というわけでもなく、元は2年で任期が切れるところを当時の区長と相談役の人が止め、なぜ止めたかというとその年の体育祭でK地区は7つある地区の中で3位となり、それは地区が始まって以来の快挙であったからだ。私たちはそれじゃああと1年延長するということになり、ところが次の年の体育祭は雨で中止となってしまった。当然周りは

「それじゃあもう1年」

 と言い出したが、その人はちゃっかり次の人に役を押し付けてしまった。私も当然そこでやめてしまいたかったが、次の人を見つけてはいなかったし、そもそも土地の者ではない私には目星もつけられない。

「今年俺45だからさ、ソフトの方も声かかると思うんだけど、友達とかにも声かけてさ。そうしないと」

「確かに若い人が出ないとあれですよね。年寄りばっかじゃ勝てないから」

 地区対抗のソフトボール大会は男については、45歳以上でなければ出られないというルールがある。私が出られるようになるのはまだ10年先で、私はそれまでにはこのソフトボール大会自体がなくなることを期待している。K地区はソフトボールに関しては、まだ1勝もしたことがない。

 私は去年の夏に地区の野球場での練習のときのことを思い出した。私は肩と腰が痛いと言って、初っ端のキャッチボールから練習を辞退して日陰のベンチに座っていた。選手ではない年寄りの役員たちは、球拾いを買って出て外野へ行き、球が飛んでこなくて暇になると、その辺の草むしりを始めた。その野球場は昔からあって、私の小学校時代の通学路の途中にあり、使われなくなった得点板には錆が浮いていた。

 最後の試合練習になると人数あわせで全員が駆り出され、そうすると体育委員のひとりは奥さんも選手であったため、3人の男の子を見る人がいなくなった。私が田んぼへザリガニ獲りに行くのにつきあったことは既に述べた。

 ようやく彼らが最初にザリガニを発見した用水路にたどり着き、しかし私たちは釣竿の類は全く持っておらず、かろうじて餌だけは、さきイカをいくつか用意していた。昨日ちょうど納涼祭が行われ、社務所で行われた酒盛りのツマミの余りを、キクチさんがクーラーボックスに入れて持ってきていたのだ。私は納涼祭には参加していない。

 私は長めの細い草を何本か引きちぎってそれを糸に見たて、餌をくくりつけて子供達に渡した。目を凝らすとザリガニは用水路の中にうようよいて、ザリガニの目の前に餌がくるように糸を垂らすと、案外簡単に釣れた。こんなあっさり釣れるとは思ってなかったので私は驚いた。ザリガニは畦道の真ん中でハサミを目一杯広げて私たちを威嚇し、しばらくはその様子を楽しんだが、やがてそのザリガニは長男のものとなり、あと2匹釣らなければならない雰囲気となった。私は最初の一匹があっけなく釣れたから、いくらでと釣れると楽観したが、2匹目以降は釣り上げる途中で糸が切れたり、水の中で餌がほどけたりしてなかなかうまくいかない。落ちた餌をゲットしたザリガニは、新たに餌を垂らしても、もうそれには見向きもしない。私は段々と釣り上げることに夢中になって、身を乗り出して水路を覗き込むようになった。しかし私は心の中で腰の状態に気をかけていた。