意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(46) - (50)

※前回

余生(41)-(45) - 余生

 

すると、私は助手席の後ろ側のドアを開けたのだが、そこにはEさんが座っていて、

「どうも」

 と挨拶をしながらEさんは奥へずれてくれた。Eさんの動きは極めて緩慢であり、運転席の後ろにおさまると、頭をシートににぴったりつけて目を瞑り、どうやらアルコールはそれほど飲めないタイプらしいと私は判断した。慰労会が始まって1時間くらい経ってから、Eさんはやってきた。犬の散歩の後にシャワーを浴びたのか、グレーのTシャツとジーンズに着替えていた。慰労会にこなければ、寝巻きに着替えたのかもしれない。Eさんは私が声をかけてやってきたので、私は右隣の座布団をあけてもらっていて、Eさんはそこに座った。私たちは世間話をしたが、すぐに話すことがなくなってしまった。私は

「今日は奥さんは見えないの?」

 と馴れ馴れしくきいてみた。Eさんは笑ってごまかすだけなので、話はそれ以上続かなかった。ところで私の反対側の左隣の席には、体育委員の齋藤さんがいて、私は齋藤さんにも話を振ろうと思い

「次の人、見つかりました?」

 と聞いてみた。齋藤さんとは、ソフトボール大会の練習の時に3人の子供を連れてきて、その子供の面倒を見る人が途中からいなくなったので、仕方なく私がザリガニ釣りに連れて行った子供達の親である。その時の話をしたら、ザリガニについてはやはり1匹しかいなかったので、兄弟で取り合ってるうちにハサミがもげ、そうなると兄弟たちの興味は一気に覚めて放置していたらだいぶ弱ってきたので、奥さんが流しの三角コーナーに捨ててしまった。と、齋藤さんはスルメを噛みながら教えてくれた。私はやはり男の子の親は違うなあと感心した。一方ザリガニには気の毒なことをしたと思い、やはりあの時3匹釣ってひとり1匹にするか、そうでないなら川へ逃がして0匹としても良かったのかもしれないと思った。しかし私は子供達の親ではなかったから、やはり釣ったザリガニを逃がせ、と強くは言えない。

 私は齋藤さんに

「あの時は、久しぶりにザリガニ釣りできて楽しかったですよ。釣ったの中学が最後、かも」

 とむしろ子供の面倒を見られてラッキーだったかのような口振りで話したが、あの時は暑かったし、随分な距離を歩かされたから、同じ状況が再現されても、今度は子守など買ってでないだろう。

 私がピーナッツの小袋を破りながら、齋藤さんと話をしていると、いつのまにかEさんはいなくなっていた。どこか別の席に、知り合いでも見つけたのかと部屋の中を見回すが、姿が見えない。公民館の中には30人くらいの男女がいて、全部で何畳の部屋なのかは知らないが、おそらく普通の部屋の2つ分、16から20畳くらいあるのではないか。長机が縦長のロの字に並べられ、ひとつの机につき、対面で6人が座っている。そういう風に視野を広くしていくと、各方面の声が混ざり合って両耳に入ってきた。そのうちのどれかに耳をすませようとしてみるが、うまくいかない。私は酔っ払っているのかもしれない。いちばん向こうの大きい窓は雨戸が閉められていて、その手前の廊下は1番奥が座布団の置き場所になっていて、余った座布団が高く積まれている。座布団の前には、私よりもずっと若い、10代後半が20代前半の男がひとりで座っていた。男は坊主頭で片膝を立てて座り、その前にはアルミの灰皿と烏龍茶の入ったコップが置かれていた。その人のことを、男と書き続けるのか、少年と書きなおせばいいのか私は悩む。昼間の体育祭のときにはいなかった顔だ。体育祭の出場者や関係者の中では、小学生を除くとおそらく私が1番若い。それは体育祭に出るのはだいたいが小学生の親と決まっており、私も志津が小学4年の時に体育委員になった。その時私はまだ20代で、K地区に住み始めて5年しか経っていないので役員には早すぎると思ったが、体育委員とは、小学生の親で回していくものだからと、その時言われた。妻は私より1歳上で、20歳のときに志津を生み、その時私はまだ妻と出会ってもいなかった。

 私はEさんを探し続けたが見つからないので、トイレにでも行ったのだろうと決め付け、集会場は数年前に建て替えたばかりなので、トイレもまだまだきれいで、男子トイレと女子トイレの間には身障者トイレもあった。私はネモちゃんがまだひとりで用を足せないときには、よく身障者用のトイレを利用し、そうすると男子トイレにネモちゃんを連れて行かなくても済むので、大変ありがたかった。

 齋藤さんとの話は、いつのまにか齋藤さんの仕事の話となり、齋藤さんは倉庫内で荷物を運ぶ仕事をしていた。フォークリフトを操りながら、その仕事は残業が多く、繁忙期になれば日付をまたいでしまうこともよくあるそうだ。こんな暇つぶしの役員なんて、そう何年もできないと言いたいのかもしれない。齋藤さんは体育委員の2年目で、今年でやめるときっぱり宣言をしていて、宣言する度に、4年もやっている私はなんだか恥ずかしい気持ちになった。その後区長や評議委員の人が何人かビールをつぎにやってきて少し話をし、やがて締めの挨拶があって片付けがあって会は終了した。

 

 車の中でオカダさんに、もう何年やっているのかと聞かれ、私が

「4年です」と答えると、

「もう1年くらいやったら」

 と言われた。私はさっきの齋藤さんとの会話を思い出し、

「いや、もう流石にもういいでしょう」

 とうんざりした感じで言った。酔っ払っていたから、少しオーバーな言い方になったかもしれないと、私はすぐに反省をした。酔っ払っているから、申し訳ない気持ちになったような気もした。忘年会の時は、年寄りの数が多かったためそんなに飲んだ気はしなかったが、今日は若めの人も多いし、昼間は強い日差しにあたって走ったりしたから、全体的なビールの消費量は多かった。私はもうこんなことを4回も繰り返しているから、日の下に出る時はきちんと日焼け止めを塗り、それは近所のドラッグストアで、自分で金を払って買った。先日志津がやはり中学校の体育祭があり、自分の日焼け止めを持っていないから貸してくれと頼まれ、私は「いいよ」と答えた。すると妻がそれは肌には良くないタイプだからと言って、志津を塾に送ったついでに、別の日焼け止めを購入してきた。私は同じドラッグストアで買えば、効果や副作用には大差ないと感じたが、妻のこだわりに口を出してもいい結果にはならないから黙っていた。オカダさんも私の言ったことに対して黙ってしまったが、やがて口を開いた。しかしオカダさんは前を向いたままで、うまく聞き取れなかった。声の感じもなんだかおかしい。

 私がオカダさんの声だと思っていたものは、実は車の外から聞こえてきたもので、やがてその声は「とまれ」と発していることがわかり、オカダさんの奥さんは車を停めて、サイドブレーキを引く音が車内に響いた。私は奥さんが車を停めたことによって、初めて声が「とまれ」と言っていることに気づいた。

 それから何秒かの沈黙があり、私は声の主は、さっき座布団の山の前で煙草を吸っていた少年ではないかとふと思った。さっきは書きそびれたが、少年は目つきが鋭く坊主頭で、周りの参加者はみんな半袖なのにひとりだけ黒の長袖のジャージを着用してそれはぶかぶかであり、彼は細身であった。下はハーフパンツ、靴下は白の5本指ソックスの短いやつだった。私は暴走族か、ヤクザの類ではないかと疑い、なるたけ顔を見続けないように注意し、服やアルミの灰皿に視点を置いてて彼を観察した。ヤクザが何故K地区の慰労会なんかに顔を出しているのかは謎だが、例えばこう考えてみたらどうだろう? 今日の参加者の中に、実は消費者金融からかなり額のの融資を受けている者がいて、その人は期日になっても返済する素振りを見せずにやがて利子が膨らみ、ヤクザとは取り立て業者なのである。しかし今は貸金規制法がすすみ、乱暴な取り立てはできないから、ヤクザは辛抱強く債務者にまとわりつき、強引な理由をつけて慰労会にも参加した。ビールを飲まなかったのは業務中だからであり、そう考えるとこのヤクザは職務に対して誠実な人物と言える。

 債務者はオカダさんである。オカダさんはすっとぼけて慰労会の司会をしながら、参加者にビールを勧めて昼間の活動を労い、自分も飲んで酔っ払い、あとは帰り道に無関係の誰かを乗せて家まで帰り、そのまますぐに布団に潜り込んで寝てしまえば、業者も取りつく島もなく諦めて帰るだろうと踏んだのである。オカダさんは酔いつぶれていたEさんを、強引に車に乗せて第一の防御壁とし、さらに夜道をふらふら歩く私を見つけ、守りをより強固にしようと私に声をかけたのだ。

 しかしヤクザにしてみても、このまま空手で帰るわけにはいかないので、金をむしり取ることは無理でも、何らかの言質をとって帰らなければ、こちらもこちらで上司に大目玉を食らう。というわけで車の外から拡声器で声をかけたわけである。

 オカダさんの奥さんが運転席の窓を下ろし、しかしそこを覗き込んできた顔は警察官のものであった。警察官は紺色の帽子をかぶっていて、40代くらいに見えた。どうやら、オカダさんの奥さんは一時停止の表示を無視してしまったらしい。車はちょうどT字路を曲がってきたところで、それまでは雑木林と竹藪の間を走ってきたが、そこから景色が開け右手には畑が広がり、左手には土手があってその向こうは沼になっている。警察はどうやらこの土手の影から車がラインを越えないかどうかを見張っていたようだ。土手の上には沼に入らないように注意する看板が立てられ、子供の恐怖心をあおるために、そこには河童の絵が書かれていた。

 オカダさんの奥さんは警察に車から降りるように言われたので降り、すぐ後ろにつけられたパトカーの後部座席に連れて行かれた。私はその様子を眺めていたが、オカダさんの奥さんはとても太っていた。さらには私よりも短髪であり黒いTシャツは背中に汗の染みができており、下手をしたらプロレスの悪役レスラーのようにも見えた。私が小学生の頃には、芸能人の水泳大会がテレビで放送されていて、そこでの最後の競技は騎馬戦であったが、出場するのは女性ばかりだった。その理由はある程度時間が経てばわかるのだが、出場者の中には悪役女レスラーもいて、次々に相手チームのビキニを剥ぎ取っていく。勝利条件は帽子を取ることだから、ビキニを取ることには何の意味もないが、これは視聴者へ対するサービスであると、私は子供ながらに気づいた。ビキニを取られれば当然乳房が露わとなり、私はまだ性欲を自覚できる年齢ではなかったが、興奮し、勃起もした。しかし、ビキニを取られる女性芸能人は、決まって私の知らない女ばかりであり、売れている人は、対象外なのである。

 その時に活躍していた女性レスラーに、オカダさんの奥さんが似ているという話であった。