意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(47)

※前回

余生(46) - 余生

 

 私は齋藤さんに

「あの時は、久しぶりにザリガニ釣りできて楽しかったですよ。釣ったの中学が最後、かも」

 とむしろ子供の面倒を見られてラッキーだったかのような口振りで話したが、あの時は暑かったし、随分な距離を歩かされたから、同じ状況が再現されても、今度は子守など買ってでないだろう。

 私がピーナッツの小袋を破りながら、齋藤さんと話をしていると、いつのまにかEさんはいなくなっていた。どこか別の席に、知り合いでも見つけたのかと部屋の中を見回すが、姿が見えない。公民館の中には30人くらいの男女がいて、全部で何畳の部屋なのかは知らないが、おそらく普通の部屋の2つ分、16から20畳くらいあるのではないか。長机が縦長のロの字に並べられ、ひとつの机につき、対面で6人が座っている。そういう風に視野を広くしていくと、各方面の声が混ざり合って両耳に入ってきた。そのうちのどれかに耳をすませようとしてみるが、うまくいかない。私は酔っ払っているのかもしれない。いちばん向こうの大きい窓は雨戸が閉められていて、その手前の廊下は1番奥が座布団の置き場所になっていて、余った座布団が高く積まれている。座布団の前には、私よりもずっと若い、10代後半が20代前半の男がひとりで座っていた。男は坊主頭で片膝を立てて座り、その前にはアルミの灰皿と烏龍茶の入ったコップが置かれていた。その人のことを、男と書き続けるのか、少年と書きなおせばいいのか私は悩む。昼間の体育祭のときにはいなかった顔だ。体育祭の出場者や関係者の中では、小学生を除くとおそらく私が1番若い。それは体育祭に出るのはだいたいが小学生の親と決まっており、私も志津が小学4年の時に体育委員になった。その時私はまだ20代で、K地区に住み始めて5年しか経っていないので役員には早すぎると思ったが、体育委員とは、小学生の親で回していくものだからと、その時言われた。妻は私より1歳上で、20歳のときに志津を生み、その時私はまだ妻と出会ってもいなかった。