意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(57)

※前回

余生(56) - 余生

 

勘弁してよ、としゃがれた声で言いながら、Jさんは私の二の腕を掴んで来て、私はオーバーな動きでそれをほどいた。中で作業している人に、サボっていると思われても癪なので、早く雑巾を干し終えて中に入りたかった。しかしJさんはそんな私の気持ちを察することなく、喋り続け、私はやはりこうやって他人の状況など気にせず言いたいことを言える人が営業には向いているのだろうなと思った。私にはとてもできない業種だと、ずっと昔から思っていたが、Jさんは

「進藤はしゃべりがうまいから営業向いてるよ」

 と言ったことがある。言われてみると、私は勝手に向いていないと思っているだけで、実はやろうと思えば案外営業など簡単にこなせるのかもしれない。私の弟は不動産の営業をやってして、しかしながら

「兄貴には営業は無理だよ」

 と言われたことがあるので、やはり無理なのかもしれない。Jさんはどんどん饒舌になり、

「俺よりももっと仕事をしてないのだっているんだから」

「しかも女なんか囲っちゃってさ」

 とか言い出した。そこには人名が一切出てこなかったので、最初は誰の話をしているのかわからなかったが、やがて所長とDのことを指しているとわかった。私はもしかしたら別の人から先に、そのことをきいていたかもしれない。

 所長は最近になって、担当エリアを外れ、それは以前は所長とは別の人だったのが定年退職し、その人が新しい所長となって社内にとどまって仕事することが多くなった。それと同時期に、営業であるはずのDも事務の女の人のひとりが産休に入ったために、事務作業を手伝うという名目で、あまり外に出なくなった。産休になった女の人以外は全員独身の女性であったが、ひとりだけ男の人もいた。男で事務というのは、私の会社ではあまりないことらしく、この人についても、私の周りでは様々な噂が飛び交った。私は

「お客さんを殴っちゃったんじゃないですか?」

 と全くの出鱈目を言ったが、誰もそれを否定する人はいなかった。佐原くんの外見は大人しそうで顔は長く目は小さいので、かえって信憑性があった。所長とDに関しても、そもそもは誰かがあいつらデキてるよ、と適当なことを言ったのが発端だったのかもしれない。所長とDが同時期に事務所にとどまるようになると、2人は朝も仲良く自転車で一緒に出社してくるようになった。前にも言った通り、私の会社は最寄の駅まで早足で歩いても20分はかかる。電車通勤の人の中には、駅で駐輪場と契約して、自転車でやってくる人もいた。Jさんは歩きだ。私の見たところ、自転車で来る人は、全体の半分だ。