意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2013/12/11

 中学2年か3年の頃に自分が班長のときがあり、これは班が西門の掃除担当のときの話だ。西門は県道に面していて県道は交通量が多く、やがて関越自動車道のインターへつながっていた。校舎の窓からも関越道の陸橋は見え、時間帯によって西門はその影に隠れた。

 どういう経緯だったかは忘れたが、掃除をさぼったのか作業が不十分だったのか、あるとき西門を担当する教師にやり直しを命じられた。西門の掃除は竹ぼうきで行われたが、その竹ぼうきをしまい忘れた等の、間接的な理由だったかもしれない。担当する教師は男の体育教師で、体育教師はやはり英語教師の女と会話する時とは緊張感が異なる。英語教師の女は太っていて、結婚していたか独身だったかは忘れた。理科教師の女は私が在学中に婚姻をして、苗字が変わった。相手も同じ中学の教師で、サッカー部の顧問だったが、担当する学年が違うから教科まではわからない。国語教師は40代なのか50代なのか、教務主任で国語の時間に自分がかつて南アメリカにいた時の話をし、あっちの人は固い食べ物が好きだが日本人は柔らかいものが好むと話をした。その六年後に癌で死んだ。数学の教師は学校へタクシーで乗り付けていた。

 私たちはそのとき、目前に合唱コンクールを控えていた。その中学は合唱の大変盛んな中学で、その日の放課後は第一音楽室での練習が決まっていた。掃除なんてやり直している場合ではなく、すぐに練習に参加しなければならなかったので、女子のひとりが理由を話して掃除を免除してもらうべきだと主張した。音楽室は第二までしかなく、各クラスが順番に利用すると本番までに2度3度できるのがせいぜいで、あとは昇降口の階段とか廊下とか、そんなところで練習をせねばならず、そこは音響とか環境が悪いのだ。

 この女子生徒のしたたかなところは、先ほど私の中学は合唱が盛んだと述べたが、それは教師たちにとっても同じであり、担任教師は自分のクラスが上位に入るよう積極的に働きかけ、練習にもたびたび顔を出してクラスに激をとばす。 担任が貴重な音楽室の練習時間に、生徒の何人かが姿を見せず、しかもその理由がただの掃除のやり直しであると知れば、不快に思うだろうし、もしかしたらコンクールでの成績を落とすための足の引っ張りと考えるかもしれない。体育教師は今後の担任教師との人間関係を考慮して、私たちの居残り掃除を免除しなければならない。

 職員室へ向かう役は、必然的に班長である私になった。私は気が進まず、それは相手が体育教師であるということもあるが、こんなお門違いの要求が通るとはとても思えなかったのである。私は実際にそのことも口にして行動を渋ったが、したたかな女子生徒はむしろ教え諭すように「大丈夫だから」と何度も言ったので私は職員室へ向かった。

 11月で、冷たくて強い風が途中の松の木を揺らしていた。松の枝の間からは武道場の反り返った屋根が見え、私は自分の責任を放棄して、突如剣道部に入部しようと思った。しかし竹刀と防具一式を揃えるには、目安として6万円がかかる。入学してすぐに配られた資料に、そう書いてあったので、私は剣道部は断念してテニス部に入った。
体育教師は予想通り私の要求を却下した。私は掃除は練習後に後から行うと提案したが、取り合ってもらえず、練習は第一音楽室であることを述べたが

「だから何?」

 と一蹴された。体育教師のくせに怒鳴ったり高圧的な態度に出てくることはなく、むしろ音楽教師のように冷たく突き放すような態度だった。