意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/1/6

 1組の担任の周りには十数名の生徒が集まり、それは全員1組であった。楽しそうだったので、私は興味を持ち、弁当箱を背後に隠して近づいた。林間学校は5年の秋に行われた。私が集団に近づく際、ひとりひとりの顔を注意深くチェックした理由は、私がその前年に、あるグループからいじめを受けていたからだった。毎日のように泣きながら帰った記憶があり、給食のほうれん草のおひたしの中に安全ピンを、中華スープの中に粘土の切れ端を入れられた記憶がある。普通に殴られたこともある。親が担任に相談をしたが、根本的な解決には至らなかったので、5年クラス替えの時に、担任はそのメンバー達と私を別のクラスにした。5年になってからしばらく経ったある日、4年の時の担任は男だったので、音楽だけは別の茶色い髪の背の低い女教師だったのだが、その女教師に

「離れられて良かったね」

 と言われた。私はその時はいじめとは全く関係のなかった友達と、一緒に職員室の前の廊下を歩いているところだったので、少し恥ずかしい気がするのと同時に、今の話を後から友達に質問されたらなんと答えればいいだろうかと考えた。廊下とはダッシュすると教頭に呼び止められ、説教をされる廊下だった。友達は後から質問はしなかった。音楽の女教師は、複式学級の知恵遅れの人と一緒に、廊下の窓際に置いてある水槽を掃除しているところで、中では金魚が泳いでいた。水を入れ替えて中まで掃除するのは月1回とか、大掃除の時くらいなので、その時は水槽の表面を乾いた雑巾でなぞっているだけで、やってもやらなくてもどっちでもいい作業だった。職員室は2階にあり、窓からは中庭の池が見え、池には鯉が泳いでいた。知恵遅れの人は、掃除が終わると、そこから給食のパンを細かくちぎって池に投げ入れた。給食はご飯の日もあるから、パンは全部使いきらないよう注意した。

 1組の担任を取り囲む集団の中には、かつてのいじめの人はいなかった。いたとしても1人であれば、向こうは特に何もしてくることはなく、むしろ好意的に接してくることさえあることを、すでに私は知っていたが、私の方からあえて話しかけようとは思わない。

 耳に入ってきた話をまとめるとこうだった。

 1組の担任は、今座っている木のベンチの上でうっかりオナラをしてしまった。その直後に、3組の私の担任が、予想よりもずっとすぐ近くにいることに気付いた。(私が振り向くとたしかにすぐそばに担任はいて、担任は黄色いポロシャツを着ていた。担任は短めの髪を茶色に染め、黄色がよく似合った。)もしかしたら今のオナラの音を聞かれ、軽蔑されるのではないかと頭を抱えているところだった。

 もちろん1組の担任は本気で苦悩しているわけではなく、また周りにいた私たちの誰もが、冗談であると見抜いていた。小学6年とはそういう年齢であった。これがもっと幼ければ、1人の男子がふざけて放屁の音が確認できたかどうかを、私の担任に確認しに行くこともしたかもしれない。1組の生徒たちはさも愉快そうに大笑いし、それは林間学校にやってきたという開放感も加味されていることを私は理解していたので、それを差し引くと、この盛り上がりの感じは、1組担任は頻繁にこの"かなわない恋シリーズ"を披露していると、私は見抜いた。私は自分の担任が笑い者にされているようにも感じたのでいい気はしなかったが、それでも口元に笑みは浮かべた。

 その瞬間に1組の担任はいきなり私を見て、目が合った。私は反射的に目をそらし、そのためにその後もずっと1組の担任が私の方を見ているような気がし、やがてその視線に気づいたその場の生徒全員が、私の方を見ているような気持ちになった。かつて私をいじめていた人たちも、私をいじめている時は、私から視線を外さなかった。私は今の一連の話についてなにか感想を求められたら、なんと答えようかと素早く考えた。今の私(30代半ば)ならば

「うちの担任に伝えておきますね」とおどけて言えば、

「それは勘弁してよ」

 と答えて即興のコントが出来上がり、場をさらに和ますことができたが私はまだ小学6年だった。それに下手なジョークを交えれば、怒られるかもしれず、実際に私は1度彼に殴られたこともあった。

 しかし殴られたのは小学6年の運動会での出来事であり、林間学校よりも後なので、その時の私が知る由はない。

 もし質問されたら「おもしろかったです」と答えるのが無難だと思った。そう思うと心に余裕が生まれ、肩の力も抜け、さらに

「普段あまり接する機会のないY先生のお話が聞けて、宿泊学習のいい思い出になりました」

 という大変気の利いたコメントを思いついた。そうなるとむしろ自ら発表したいという衝動にかられ、しかしここは教室ではないのだから手を挙げるわけにはいかないので、1組の担任の顔を凝視すると、彼はもう私の顔は見ていなかった。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門