意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/1/16

 バケツと書いて思い出したが、父はまた、私が発作を起こすと

「バケツいっぱいの水を飲め」

 と私にアドバイスをした。それは私の担当医師が両親がアドバイスしたことで、それは喘息の発作が起きそうなとき、あるいは起きてしまったら大量の水を飲んだ方が良いとのことだった。喉の気道が収縮するのを、水を通過させることで防ぎ、呼吸を安定させるのである。バケツいっぱいの水というのは、それだけ沢山の量の水を飲めという比喩であった。

 しかし私の方は、比喩という言葉自体は知らなくても比喩だとある程度理解していたが、頭の中には例の水色のバケツがイメージされ、吐いたゲロをそのまま飲むような気がし、コップに注がれた水を飲むことも嫌がった。私はたかだがバケツの水を飲んだところで、発作の苦しさから逃れるわけはないと決めつけてもいた。

 しかし分別がいくらかつき始めた高校生の頃、その時私は東京都にある祖父母の家に遊びにきていたが、夏休みで、夜になると花火をやろうということになった。祖父母の家にはあまり広くはないが庭もあったので、そこでやることになった。そこには従姉妹が2人いて、姉の方が私の弟と同い年であり、私は弟よりも6歳年上だったので、自然と子供たちの監督者のような立場となった。しかしそばには叔父や私の母などもいたので、叔父とは私の母の弟にあたるが、監督者としての私の仕事は特にはなかった。

 ところで、私が喘息を発症してから担当医師は、煙草などの煙をなるべく吸わせないようにと両親に注意した。その中には花火の煙も含まれていた。私は最初の花火に火がつき始めた頃、薄々注意しなければならないことに気づいていたが、そのときは高校生でもう喘息の発作はほとんど起きなくなっていたので油断をした。私は第一志望の高校には落ちてしまったが、病院にはもうずいぶん前に行ったきりであった。もしかしたら母親だけは薬をもらいに行ったりだとか、話をしに病院を訪れ続けていたのかもしれない。

 高校生の私は冗談を言いながら夢中で花火に火をつけた。庭は塀で囲まれ、塀の内部には幸水という種類の梨の木とその他の植物が植えられ、さらには数年前に誕生した孫のために購入された、家庭用ブランコもあって手狭だった。ブランコの座面には、くぼんだ部分に雨水が溜まっていた。

 気づくと私は花火の煙を思い切り吸い込んでしまっていて、途中から呼吸が乱れ始めた。これはまずいなと思いながらも最後の線香花火の煙は特に煙が強く、私は発作を起こしかけた。吸入器は自宅に置いてきていたので、もし発作を起こしても、手の施しようがない。私の家から祖父母の家までは、自動車で1時間と少しかかり、関越自動車道を通って終点の練馬まで行って、少し走ったところに祖父母の家はある。父親はトヨタの白いセダンに乗っていて、母は小型車を乗っていたが、母は市内しか運転しなかった。そのため関越自動車道を走るのは父親の車ばかりであった。祖父母の家というのは母親の実家であった。

 私は花火が終わると早足で台所へ行き、水をコップにくんで立て続けに3杯飲むと呼吸が落ち着いたので安心した。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門