2014/1/17
ところでここまで読んできた人は、ここに書かれた私が病弱であり、そのせいでいじめを受けてきたという印象を受けるかもしれないが、決してそうではないので、バランスをとるために、別のエピソードを以下に書く。
その時私は中学生になっていて、市内の中学は小学校の数よりも少なく、私の中学は、私の通っていたものも含めて3つの小学校の生徒が集まって学年を構成し、300人くらいいた。300人のうち、小学Aと小学Bは全員が同じ中学に進学するのに対し、私の通っていた小学Cは半分に分けられ、別々の中学に進む。そのため、新しいクラスでも仲のいい人同士の派閥がやがてできていくが、これの中心になれるのは小学AかBの者で、私たちはその構成員になれるのがせいぜいだった。
私たちが小学の時、やがて中学になると半数が別々になることはいつからか理解していたのかは不明だが、小学を卒業するほんのひと月前までは、そうなるのはまだずっと先のことで、ずっと先のことなので、地球の滅亡とか世界の終わりみたいなものと同列に扱われていた。その証拠として、私は6年の3月にメガドライブのシャイニングフォースというソフトがどうしても欲しくなり、しかし小遣いが全然足りないので母親に必死に頼み込んだら買ってくれた。そしてそれを仲のいい人たちに自慢すると、みんないいなあと羨ましがった。私はそのうちに自宅にそういう人たちを招いて、あらためてゲームの進捗状況だとかを報告しようかと思っていたが、ついにその日は来なかった。小学5、6年の頃は、どの家にも2、3台のゲーム機があり、私もあまり裕福ではなかったが、お年玉などを利用して買い揃えた。そしてお互いの家を行き来して、色んなゲームに興じるのが、当時の私たちの学校外の過ごし方であった。
ソフトに関しては高価なものでは1本1万円するものもあったので、それをそのまま買うのはいくらなんでもお小遣いが足りないので、店側も売れ筋以外はいくらか割り引いて店頭に並べた。その中でも特に安かった店が2つあり、ひとつはさくらマーケットと言って、もうひとつは名称を忘れてしまったが、店主は猫を飼っていた。猫は店内に放し飼いにされていたが、中古のゲームソフトは透明のビーニールシートに貼って天井からぶら下げていたので、私たち自然と見上げるような体勢になって、何度も猫を踏みそうになった。
さくらマーケットの方は特に動物はいなかった。
(続く)
第1回