意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/1/24

 父はいつもなら仕事で、この時間に家にいることは絶対なかったが、いたので私はただならぬ雰囲気を察した。父は私が質問する前に状況を説明してくれ、私は弟は死ぬのかと思ったが、冷静に簡潔に説明してくれたので、死ぬことはないとすぐにわかり安心した。

 父は写真が好きな男であり、家には暗室があり、そこは当然子供は立ち入り禁止であった。暗室は昼間でも真っ暗で独特の匂いがしたので、こちらからも進んで入りたいとは思わなかった。父は弟の事故現場に弟の容態が安定してくると、赴き、写真を撮りその写真を自分で現像して私にも見せてくれた。父は白黒写真専門なので、私には何を表しているのかよくわからなかったが、急ブレーキの黒いゴムのあとが道路についていたので、この地点で急ブレーキをかけ、そこで弟が車に轢かれたんだと理解できた。

 父親は、ブレーキの痕から、運転手は飛び出した弟の姿を初めて認めた時に、咄嗟に左にハンドルを切り、おかげで弟の命は助かったと分析した。弟は運転席から見て左から飛び出したから逆なのでは? と私は疑問を抱いたが、父はその話は私にではなく母に言ったので、私が回答を得ることはできなかった。

 後から私なりに考えた理由では、運転手がハンドルを左に切ったのは、右側には対向車がいるためであり、その道は県道であるために車通りが多く、近くには歩道橋のかかった国道と交わる大きな交差点があるために、その道はしょっちゅう渋滞した。運転手がもし右に切れば対向車とぶつかってもっと大惨事になる可能性があったので、左に切った運転手は優秀であったという理由だ。

 渋滞についてはもうひとつエピソードがあり、弟が事故に遭ったすぐ近くには父の実家があり、私はここまで書いて突然思い出したが、弟の事故の1年後にそこに住む祖父が、違う場所で交通事故に遭って死んだ。祖父はバイクに乗っていて、ワゴン車にはねられた。私はその当時は一体誰がそのワゴン車を運転していたのかについて、誰も教えてくれなかったが、それからまた1年経って中学になると、同じ小学校だったが同じクラスになるのは初めての、ひとりの女子が私の祖父の事故のことを知っていて、給食を食べているときに教えてくれた。

「あなたのおじいさんをはねた車の人は中年の主婦の人で、しょっちゅう犬だとかをはねている運転のへたっぴな人よ」

 彼女は事故現場のすぐそばの、パーマ屋の娘だった。

 

 祖父がいなくなってからしばらくして、祖父母の家には沢山の畑があり、祖父の弟のひとりから、畑の実のなった野菜をとる人がいないから一緒にとってくれと頼まれた。私と弟はその親戚と一緒にピーマンだとかキュウリをとりまくった。そしてバケツに2杯くらいになって、それをどうするのかと思っていたら親戚が「売りに行く」と言い出したので私はびっくり仰天した。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門