2014/1/29
妹は正月にもらったお年玉でスーパーマリオ3を買うということなので、そのお金を銀行で下ろしてきていた。お年玉は原則として全部銀行に預けることになっていたのである。母は私たち兄弟の預金口座を共和銀行で作り、そこへ入金をしていたが、共和銀行は途中で埼玉銀行と合併をしてあさひ銀行になった。あさひ銀行はある日りそな銀行という名称になった。
ところで当時私たちの住んでいる家は平屋建てであった。数年後に2階を増築するのだが、その時は兄弟がそれぞれの部屋を持つことになり、私たちの預金はその時に新しいベッドだとかカーテンを購入するために使われた。しかし私の分だけは口座が兄弟の中で1番古いために銀行印を母が紛失してしまったので、私のカーテンと新しい机に関しては、親がとりあえず立て替えることになった。
スーパーマリオ3を買いに来た当時はまだ平屋建てで、増築する予定もまだなかった。周囲は2階建ての家屋ばかりで、友達の家などは2階が子供部屋になっていることが多く、私はとてもうらやましかった。私の家には子供部屋はひとつしかなかったので、妹と学習机を並べると、それだけで部屋は一杯になってしまった。部屋は広さが6畳あったが、部屋の中にはさらにピアノとベッドが置いてあり、ピアノは妹のもので、ベッドは私が寝るためのものであった。
子供部屋は家の1番北東側に位置し、そのため朝は雲がなければ朝日が窓から抜け、ドアを開くとその先の廊下まで照らされるが、1日の全体を通しては家の中で1番寒くてじめじめした場所で、カビ臭かった。元はそこは物置として利用されていた部屋で、トイレットペーパーの買い置きや、冬になれば母の実家から送られてきた段ボール入りのみかんもここに置かれた。その部屋は居間から1番遠かったので、誰も取りに行きたがらなかった。私の家は私が3歳のときに引っ越してきた家なので、そのときの荷物も、いくつかダンボールに入って残っていた。
押入れには妹の雛人形と、私と弟の五月人形がしまってあった。季節になると母はそれらを取り出し、寝室も兼ねている8畳の座敷でそれを組み立てた。
雛人形に関しては、我が家にあったのは7段飾りのものと、ガラスに入れられたタイプのものと2つあり、2つある理由は父と母のそれぞれの実家から贈られたためである。ガラスの方は出すだけで終わりなので簡単に済むが、7段飾りの方は組み立てなくてはならないので大変だ。しかも土台の骨組みは重いので気をつけないとけがをしてしまうのである。土台の入っている縦長の箱に、組み立ての手順書が入っていて、そこには他の種類の雛飾りの写真もカタログとして紹介されていた。私の家のものよりももっと豪華なのもあれば、そうでないのもあった。私の家と同じ7段飾りの写真もあったが、よく見ると私の家のとは若干異なっていて、どう異なるのかは忘れたが、例えば左大臣が写真の方がずっと若い外見をしていた。私は例えば、私の家のものと違うメーカーの雛飾りであれば、細部が違っていても納得がいくが、同じ箱なのだから当然メーカーは同じに決まっている。それなのに、このように外観が違うということが全く納得ができず、その冊子を見るたびに割り切れない気持ちになった。
私は幼い頃から冊子とかカタログの類に目がなく、そういったものを見つけると最初から最後まで目を通さないと気が済まない性分なのだった。カタログには若い女が乳飲み子を抱いている写真があったが、それがどういう趣旨の写真に出ていたのか、例えば組み立てのイメージとして、骨組みにネジを回している部分であるとか、そういうことは全部忘れてしまったが、とにかく若い女は青いスカートを履いていた。丈は膝下まであった。よく考えてみると、女は乳飲み子など抱えておらず、ひとりきりで雛飾りの脇でポーズを取っていた気もする。上着は白地に、肌色の波型で縦のラインが入ったシャツを着ていた。目には水色のアイシャドーが引かれ、真っ黒い髪にはパーマがあてられていた。女は1枚の写真に登場していたわけではなく、最低でも2枚か3枚出ていた。ある写真では三角巾を頭に巻いて人形にハタキをかけていた。
私は毎年春先にその女に会えることを楽しみにしていた。しかしあまり冊子ばかりを見て、その心内を家族のものに知られては恥ずかしいので、作業の合間に軽く眺めるに留め、しかしその辺に放ったふりをしながら、実はページは常に女が登場するページを開いておくようにした。
女のスカートは青い色をしていると書いたが、その青は折り紙のような青色で、とても目に焼きつく色であった。また、青といえば子供にとってみれば男の色であるので、そのミスマッチな感じがなおさら私の心を惹きつけたのである。
女の外観や髪型や表情は、写真なので変化しないが、ファッションは時代遅れになっていった。私はむしろその遅れ具合が楽しくて、3月になると率先して雛人形を飾ることを母に提案し、時には自分から押し入れの扉を開いた。前述のとおりそこは物置なので、私は引っ越しの荷物などをかき分けながら、押し入れまで辿り着いた。私はプラモデルを組み立てたりするのが好きな子供だったので、母はきっと、私が雛飾りの土台を組んだりする作業が楽しくて、私が押し入れから出すようせがんだと思ったに違いないが、実際は違った。
ある年に、弟は幼稚園児であったが末っ子であるためなのか気が強く、何か気に食わないことがあると、すぐに癇癪を起こして物を投げたりする子供になっていた。両親も3人目ということもあり、だいぶ子育てに余裕が出たせいか、あまり弟の態度を咎めたりせずに、むしろ笑ったり、おどけながら怖がったり見せたりして、弟はおかげでますます怒った。
その日も例年通り私たちと一緒に雛飾りを手伝い、土台を組み立ててからその上に赤い布をひいて、その上に人形や飾りを並べていったのだが、人形の中では1番下の段に置く、3人組の履物係等の人形を並べている時に事件は起きた。
(続く)
第1回