意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/2/4

 ところで、担任の

「自分の家の机を拭きなさい」

 という宿題が出された時、それはもちろん自分の部屋の学習机をきれいにしろという意味だが、例外として、自分の机のない人は家のテーブル等でも良いと付け加えられた。私はその特例を今でもよくおぼえていて、その時私は自分の学習机を持たない気の毒な生徒もいるのかと、思ったのだった。しかし私の弟の机を購入した時には私の家は手狭になってしまい、もしもう1人妹か弟がいたら、もうその時は流石に机を置くスペースは確保できないだろうから、机を購入することは断念し、そしてその人は台所のテーブルなどを一生懸命拭くのだろう。

 私の記憶が確かなら、その時担任の言った「自分の机のない人は――」のその人は栗田みきだった。栗田みきは大変頭の悪い生徒で、それは例えば脳のどこかに障害があるとかそういうのではなく、単にだらしなくて頭の悪い生徒だった。私は小学1年に上がって間もない頃に、例の自分の机の掃除の宿題が出たから、その時は栗田みきが頭の悪い生徒であるという認識はなかったが、やがて宿題をちゃんとやってこなかったりして担任に怒られる回数が増えたので、私は栗田みきは頭の悪い生徒だと思った。

 その当時の私の担任は、生徒が何かヘマをやらかすと何かしら罰を与えるタイプの女で、それは殴ったりするタイプの罰ではなく、1番多かったのは椅子を没収するというパターンだった。私もだらしのない生徒だったので、何度か没収をされた。最初に取られた時は、私たちはその時1年1組で1番端の教室であり、授業のチャイムが鳴っても担任が現れないので、ドアのところで数人の生徒といつやってくるのか覗いていたら、やがて担任の姿が見えたので急いで自分の席へ着席した。担任教壇の前に立つと

「今自分の席を離れていた人」

 と手をあげさせ、手をあげた人は椅子を没収された。その時は数分の説教で返されだが、2度目以降担任は、私たちが家に帰った後に、その複数の椅子をどこかに隠してしまった。おかげでその日以降私たちは椅子のない状態で授業を受けねばならなかった。私は恥ずかしい気持ちと、椅子を没収されずに済んだ生徒たちの椅子が、とても高級で座り心地の良いものに見えた。私たちは、授業中に発言をする時は立って行うので、椅子のない私たちは発言をしない時は立て膝の状態で授業を受けなければならず、膝が痛かった。

 椅子を取り戻すためには、個別に担任に謝罪の言葉を述べなければならない決まりがあり、謝罪の内容は決まっており、それは何に対しての反省なのか、また同じ過ちを繰り返さないためにはどういう努力が必要なのかを、明瞭に伝えなければならなかった。それが伝わらなければ椅子を取り戻すことはできなかったので、私は親に手伝ってもらいながら謝罪文を作って必死にそれをおぼえて空で言えるようにし、掃除の後の空き時間に教卓へ行って、担任に訴えかけたが、うまくいく時もあればそうでない時もあった。

 没収された椅子は第2音楽室にあり、第1音楽室は上級者が使う北側校舎の3階にあり、第2音楽室は1年生の教室の反対側の端の方にあった。ようやく担任から許しを得ると、「君の椅子は音楽室にあるから自分で取ってきなさい」と言われたので私はかけださんばかりに音楽室を目指した。しかし本当に走ると、せっかくの椅子返却が取り消されてしまうので、早足で向かった。途中には2年生の教室があり、2年生は2クラスしかなかったが変に目立ってからまれても嫌なので、私は静かに歩いた。

 音楽室へ到着すると、もともと私の椅子とは別に私の所有物ではないので、名前等が書いてあるわけではなく、どれが私が元々のなのか、見当もつかなかった。最初は元のものを探そうとしたが、やがて諦め、できるだけ目立たない位置の椅子を選んで教室へ運んだ。その椅子は運んでいる時には全く気づかなかったが、元々私が使っていたものよりもだいぶ大きなサイズであった。しかしささくれはなく、木に塗られたニスの光沢も残っていたので、私はその椅子をとても大事にした。クラスには私以外にも椅子を没収された生徒はまだまだいたので、音楽室には椅子は溢れかえっていた。

 私は当時は出来の悪い生徒だったので、この他にも給食の割烹着を忘れたなどの理由で、校庭を3周走って来いと命令されたりした。私は最初は必死に謝ったが、担任は鬱陶しそうにポトフをよそってばかりだったので、試しに外へ行き、3周走り

「3周走りました」

 と報告したら許してくれた。そして次の日には、今度は別の生徒が何かヘマをして

「走ってこい」

 と言われた時に、やはり生徒は必死で謝っていたが、後ろから私はその人の肩をたたき、

「言われたとおり走れば大丈夫だよ」

 などとアドバイスをし、その時の私は少し得意げですらあった。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門