意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/2/10

 カレンダーの隣には、大変古い木の梯子がかけられていた。私は朝早くから実はずっとそれが気になっていた。私は屋根裏が好きな子供であり、以前子供部屋の押し入れには、雛飾りがしまってあると書いたが、その押入れの天板は簡単に外れるようになっており、そこが屋根裏の入り口になっていた。

 私が屋根裏の存在をどうやって知ったのかについては忘れたが、狙い目は3月や5月の人形が出払った後であった。私は押入れの上の段に足をかけ、そこから天板を外して頭を突っ込んだ。暗くて何も見えないので、2回目は懐中電灯を持って覗き込んだ。しかし特に何もない空間であったが、私はわくわくした。ほこりっぽいにおいがした。

 屋根裏に懐中電灯を持って覗き込むのは小学校低学年くらいのときだったが、高学年になると、私は実際に足を踏み入れるようになった。小学6年の頃は、主にPCエンジンやスーパーファミコンのゲーム機が私たちの主な遊びのテーマであったが、たまには体を動かす遊びもしたくなったのである。私はある時

「うちに来れば屋根裏に招待してあげますよ」

 と友達数人に声をかけ、私はその頃の友達とは大変仲が良かったので、なんとかこういうことを言って友達の気を引きたかったのである。私はまた、屋根裏にはオバケがいるかもしれないと嘘を言ってみたが、誰も信じる人はおらず、私としても誰かを怖がらせようとしたわけではなかった。その頃の私は、こうして話の途中で冗談を言ったりして、集団のテンションをある程度コントロールできるようになっていたのである。

 しかし私の真の狙いとは、友達を家に招待したいのももちろんあるが、それよりも岸本さくらの気を引きたかったのである。その時岸本さくらは窓際のロッカーに寄りかかって友達と談笑しており、紫色のワンピースを着ていた。左肘のすぐそばには丸い陶器の植木鉢があって、しかし植木鉢には何も植えられていなかった。土の上には何枚かの枯葉が落ちていた。私たちは後ろの黒板の前で喋っていて、私は窓の方を向くようなポジションを取り、視界に岸本さくらをおさめながら、できるだけ大きな声で、オバケという単語にアクセントを置いた。岸本さくらが興味を抱いて私たちの方へ話を聞きにくることを期待した。こっちにさえやってくれば、家に招待するのは容易なことに思えた。しかし岸本さくらは自分の話に夢中だった。それは主に犬と妹についての話だった。

 岸本さくらと私は、5年の時に1度隣の席になり、その時はかなりうまくやっていた。岸本さくらは私のことをよく頭が良いと褒めてくれた。私は悪い気がしなかったので、算数の割合の勉強などは熱心に教えてあげた。岸本さくらは算数が大の苦手だったのである。岸本さくらは市内で1番頭の良い塾に通っており、クラスで1番頭も良く、今思えば私に対して対抗心を燃やしていた。私は確かに算数に関してはクラスで1番か2番くらいにはできたが、代わりに国語は全くダメで、漢字は全くおぼえられなかった。漢字テストでは10点か20点しか取れないので、岸本さくらに馬鹿にされた。漢字テストは業者の作成したカラー刷りのテスト用紙ではなく、先生が升目を引いて印刷しただけの、ただのわら半紙だった。そのため、普通のテストのような緊張感はなく、授業の途中で前触れもなく始まることもあった。答え合わせは不正防止もかねて、隣同士答案を交換して丸付けをするスタイルだった。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門