意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/2/13

 担任は教室にはいなかったので、私たちはだんだんと集中力を切らし、やがてお喋りばかりするようになった。飛島はゲーム機の類はいっさい持っていなかったし、また、後ろには栗田みきもいたので普段とは違う話をした。

 そのうちに話が盛り上がっていよいよ漢字の書き取りなど馬鹿馬鹿しくなり、担任もやってくる様子がないので、私はみんなにもう帰ろうと提案をした。私は漢字以外の勉強はできたから、こういうことを提案する権利があると思っていた。飛島たちは賛同してくれたが、栗田みきは俯いていたので、私が

「じゃあ先生を呼んでこいよ」

 と言ったら、

「帰る」

 と言ったので、私たちは荷物をまとめ始めた。私は実際漢字は2行も書いていなかったので、それがバレれば怒られるだろうが、それを恐れるような雰囲気ではなかった。

 私たちは1階に降りて校門を出て、交差点まで行くと飛島とはそこで通学路が分かれる。飛島以外のメンバーも飛島の方の通学路だったので、私はそこから1人になった。しかし栗田みきは私と同じ方向だったので、私は一緒に帰るべきなのか、距離をとった方がいいのか迷った。栗田みきと帰ったところで何も楽しいことはなかったが、私は、少しは栗田みきをここまで連れてきたことに責任を感じていた。下校時刻は過ぎていたので、周りには誰もおらず、そういうのに気兼ねする必要もなかった。ただし校庭のはしっこの遊具のコーナーでは、先に家に帰った下級生が何人か遊びに来ており、フェンスの向こうにはベビーカーを押しながら歩く、若いお母さんの姿も確認できた。小学校の遊具は、その辺の公園に備え付けてある遊具よりもずっと大きく、滑り台の長さや高さも段違いだったので、子供達には人気があった。しかしその分危険性も高く、朝などに学校へ行ってみると、たまにその遊具で怪我をした生徒がいて、沢山の人だかりができ、やがて救急車がやってくることもあった。そうするとその遊具は使用禁止の貼り紙が貼られ、そのうちに撤去された。私が卒業するまでには、遊具コーナーはだいぶ小規模になった。しかし遊具で遊んでいて死んだ生徒はいなかった。

 死んだ生徒については、私のおぼえている限りでは1人だけいて、それは私が小学1年の時の夏休みで、死んだのは5年か6年の上級生だったので私には面識がなかった。その上級生はサッカー少年団に所属していて、夏休みのバーベキュー中に川で溺れて死んだのだった。夏休み明けの始業式で校長先生がそのことを我々に報告し、校長先生の後ろにはその死んだ上級生の顔写真が白黒で大きく引き伸ばされて貼られていたが、芸能人でもないのに顔写真を引き延ばすわけはないので、これはいくらなんでも私の記憶違いで、誰か他の芸能人の葬式のシーンとごっちゃになっているのだ。

 その後教室へ戻って、担任から事故についての解説があり、川にも波があり波が高い時には顔が水面から出られずに溺れてしまう。足が水底につかない地点に来てしまった時には、無理に水面に顔を出そうとするのではなく、思い切って底まで沈み、そこから地面を蹴って勢いで水上に出るのが良いとアドバイスを受けた。

 ところで話は戻るが、ベビーカーを押したお母さんのそばには、ベビーカーのお兄さんがいてブランコを漕いで遊んでいた。お兄さんはいったん家に帰ってから宿題を終わらせ、それからお母さんと弟を連れて学校へ遊びに来ていた。お兄さんはブランコを飛び降りると、砂埃を巻き上げながらものすごいスピードで滑り台の山を登り始めた。滑り台の山には沢山の木や植物が植えられているので、姿が見えなくなった。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門