2014/2/14
お母さんとベビーカーは、学校の門をくぐってすぐのポストのところに立ち、滑り台の山の方を眺めていた。ポストの脇からは滑り台の頂上がよく見えるようだった。
私はしばらくこの親子の様子を眺め、段々と不安になった。それは1度家に帰ってから、一緒に遊んでくれる友達がいないのか、という意味だったが、それよりも、もし学校なんかへお母さんと一緒に遊びに来て、そこに顔見知りがいたなら絶対その人に馬鹿にされてしまうから、つまりこのお兄さんにはそういう馬鹿にしてくる友達すらいないのだった。そう考えると私はいても立ってもいられないので、今すぐ滑り台に登って、お兄さんと急ごしらえで友達になって、お母さんなんか連れてくるなよと言ってやりたかった。お兄さんは山に隠れたまま、いつまでも滑り降りてこなかった。そこは校庭で一番高い場所だから、普段なら上級生や気の強い子が占領してしまい、下級生はまずやってこれない場所だからだった。私は、もし学校に戻って担任に捕まりでもしたら、ひどい目に遭うだろうと思ったので諦めた。担任は元陸上部だから、足も早いだろう。
ようやく校門が小さくなって、飛島と分かれる交差点まで来たところで、かすかに私たちを呼ぶ声が聞こえた。振り向くと担任だったので私はぎょっとした。
しかし私はその時は上級生だったので、あまりうろたえることはなかった。このまま聞こえないふりをして逃げてしまえば、翌日になって担任の頭も冷え、それほど怒られなくなることがわかっていたからだ。飛島や栗田みきの顔を見ると、同じ考えのようだった。
しかし担任は
「おーい」
と口元に手をやってメガホン状にして、運動会の応援のように、爽やかな声で大声を出し、さらにおいでおいでと手を振った。私たちはてっきり
「こら」
とか
「ふざけんな」
と怒号を浴びせてくるのかと思っていたので拍子抜けしてしまい、同時に担任のにこやかな態度に戸惑った。私と飛島と栗田みきは、顔を合わせて、ただし言葉は交わさずにどうするかを考えた。もう足は完全に止まっていて、むしろ少しずつ靴底をずりながら学校の方へ体を向けつつあった。そこはちょうど飛島たちと別れる交差点の真ん中で、十字路を示す白い十字の表示が塗られていた。塗装の上には案外砂利が沢山落ちていたので、私たちの靴底はよく滑ったのである。私が下級生の頃、道路の白いセンターライン上には、かつて交通事故で亡くなった人の霊が通過するのでなるべくなら近づかない方が良いと誰かに言われた。私はその話の意図することがよくわからなかったので、どういうことなのか聞き返したら、その人は先生が言っていたと答えた。私は道路の真ん中を児童が歩くのは危険なので、そういう作り話を拵えて、私たちが歩道からはみ出すのを防ごうという狙いがあるのではないかと解釈した。
担任は相変わらず明るい少女のような声で、私たちを呼びつづけるので、その理由について私はこう考えた。つまり担任は漢字の居残りのことはとりあえず保留として、それよりも伝えたい連絡事項があったので、しかもそれはどちらかと言えば明るいニュースなのであんなににこやかな声を出して私たちを呼ぶのだ。
明るいニュースとして私の頭に真っ先に浮かんだのは、中庭で飼っている鴨のことで、この鴨は少し前にひよこを産んで、ひよこは5、6匹いて大変かわいかった。私の小学校時代は、この中庭の扱いは度々変わり、私が低学年の頃は足を踏み入れることは許されており、登下校の通路としても利用された。しかし途中から鴨を飼うようになると、通路に面した部分には緑色のネットが張られ、生徒たちは係の者を除いて中庭には出入りができなくなった。それから少しして鴨は夜中に侵入した猫に頭を食いちぎられ、私はその翌朝に頭のない鴨を目撃した。頭のない鴨は男性教師に両手で抱えられ、その男性教師とは私の記憶が確かなら、6年1組の、私の担任に恋心を抱く教師であった。私は、流石に女の人では頭のない鴨を抱えるのは無理かもしれないが、男であればこうして大人になれば、生々しい動物の死骸であっても、なんなく抱えられるものなのだと感心した。それは今になって考えるとおそらく教師にしたって嫌々こなした仕事であり、仕事であれば仕事用の人格を作って普段の自分ではできないようなことも、場合によっては可能になる。
それから別の鴨がやってきてその鴨はひよこを産んだわけだが、私はその時5年であったが、5年になると最上階である3階の教室を使用できるので、そこのベランダから中庭を見下ろした。するととコンクリートの溝を通路として、親の鴨のあとを、ひよこが小さい歩幅でついていくのでそれが愛らしくて私たちは男女関係なく喜んだ。担任もそばにいて一緒に眺めた。私はひよこたちを見ながら、かつてここで飼われた鴨が頭を食われたことを思い出し、こうして再び鴨を飼ってひよこまで生まれたということは、前回よりもネットの強度は増して、決して猫が入れないような工夫がされているんだろうと考えた。その時は猫が開けたと思われる穴というのも発見されたのである。
(続く)
第1回