小説「余生」の連載が終わりました
私はこの小説にかんしては、特に日付も残していないので、一体いつからいつまで書いたのかはっきりと覚えていないが、と書くと他のは残していてこれだけが例外という印象を読者にあたえるかもしれないが、だいたい私はそういうのに無頓着なのです。だいたい去年の春から秋に書きました、というのが先の質問の答えなのですが、たとえば日付に几帳面な人ならば「去年の」という言い方はしない。ちゃんと2014年の、と書くか去年(2014年)と書くはずなのです。
私は90年代の後半から、2000年代の途中までは、主にノートに文字を綴っていたのだが、確かに日付がないと不便だなと書きながら思い日付は入れたんだけど、年は入れなかった。年なんか、とても大きな単位だからわざわざ入れなくてもノートの表紙や中身を読めば即座に思い出せると思っていたのです。ちなみに、表紙についてはいつも違うものを購入していて違っていて、毎度どんなノートに書くか選ぶのが私の楽しみだったのです。当時は珍しいノートは東急ハンズくらいにしか売ってなかった。
しかし今となってみると、いつに書かれたものなのかはもちろん、こちらのノートとあちらのノートでどちらが早い時期に書いたのか、見当もつかないくらいになってしまった。例えば、中学や高校くらいのときは、小学校6年間の担任や、クラスメートの名前をすらすらと言えたものだが、それ以降になると、言えなくなってくるのに似ている。それでは大学になったら中学のクラスメートは言えるのかと言えばこれも微妙で、私たちは脳の記憶領域に限りがあることを嫌でも実感させられるのである。
その点ブログは勝手に日付を入れてくれるから便利だが、あいまいさが消えて寂しい。
私は「余生」という小説を春頃に書き、それは花見のシーンから始まることからも明らかである。春に秋や夏のことを書くよりも春について書くほうが、自然な行為だと思ったからである。その前に「西門」という小説を書き、それは子供時代のことばかり書いていたので、今度は現在を出発点にしようと思ったのである。その前に実は、別の、「西門」と同じテイストで書いていたが、途中でつまらなくなったから投げてしまった。別のブログで書いていて、そうしたらそれを読んだ人が投げたところで完結したのだと思い、
「学習院大学の脇の坂道で終わるなんて、なかなか爽やかでいいですね」
と褒めてくれた。その人は「余生」の最後についても、やはり廊下の光沢がいいと褒めてくれた。
私はとにかく「西門」についてはそれなりに満足していたから、それ以降に書くことに手こずった。学習院についてはある程度書けたが、書き出しては消し、を何回か繰り返した。「余生」も最初は没にした、というか、半ばヤケクソで書き始め、案の定つまらないから投げたが、ふと続きを書きたくなって、そうしたら死んだオカダさんをまたぐとき、五本指ソックスが汚れるどうこう、という部分の五本指ソックスで、私は一気に面白くなり、最後まで書けた。最後と言っても最後というのははっきりとあるわけではなく、私は小説は原稿用紙100枚以上じゃなきゃ小説と認めない考えがあり、じゃあ短編小説はなんですか? と訊かれれば短編小説は別競技なのである。
だから逆に言えば100枚書けてしまえば、もういつ終わりにしてもいいという考えが私の中にあり、だから最後の方はなんか終わりを伺うような、ちょっと駆け足気味になっている。私はたぶんそのときはとっくに息が上がって、苦しくて仕方がなかったのだ。最後の方で私が部長と駅から延々と歩くシーンがあり、それは最終的に服屋に行くのだが、その道のりが苦しくて苦しくて、最終的には全部消してしまった。だから本文にはそんなシーンはない。そうして、もう押しても引いても動かなくなったところで、私は筆を置いた。
たとえ一行でもお付き合いいただいた方には感謝する。