意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(1) - (5)

 その朝私は久しぶりに母が死ぬ夢を見た。しかし夢だったので、やがて忘れてしまったので、幼い頃に見た方ので代用すると、母は風呂場で死んだ。風呂の排水溝から毒ガスが発生し、昼間だったので風呂桶に水は張っていなくて母は風呂掃除をしているところだった。私は洗面所から母がガスを吸って死にゆくところを見ていて、母は私に風呂に入ってくるなと言い、私も行ったら死ぬことがわかっていたので、その場に泣きながら突っ立っていた。私の足元には足拭き用のバスタオルが敷いてあり、それはミッキーマウスのバスタオルだった。ミッキーマウスは私の足の裏の汗を吸い込んだ。

 毒ガスを吸った母の体は、やがて、徐々に縮んでいき、最終的には手の平大の十字架になった。十字架にはほつれた紐が取り付けられていて、紐はシャワーのホルダー部分にかけられた。十字架の色は焼け焦げた肉の色をしていた。

 その夢を見たとき私は幼く、まだ幼稚園くらいの年齢で泣きながら起きたが、再びその夢を見るのが怖かったので、それからは一切の夢を見ないようにした。しかしたまには夢を見てしまうこともあったものの、母が死ぬ夢はそれ以来見ることはなかったので、私は今朝、久しぶりに母が死ぬ夢を見た。私は夢の中で、これは夢であるとある程度は自覚していたが、夢が覚めた後の現実で、母が生きているか死んでいるかについては確信がなかった。もしすでに死んでいたら、母を偲ぶ気持ちがこういう夢を見せるのだろうと夢の中で解釈をした。やがて夢は少しずつ覚醒へと向かって行き、そのうちにもしかしたら生きている可能性が高いと思えるようになって、生死が五分五分になり、目が覚めてまだ生きていると確信した。

 

 その日は仲間たちと花見をしようということになっており、しかし前日までは時間などの細かいことは全く決めていなかったので、私は夕方から夜にかけてやるものと思っていた。前日に私が何時にする? とメールをすると、お昼でいいんじゃないかと返事が来たのでそれじゃあ早すぎると返した。結局は午後3時からとなった。3時に現地で花見を開始するということは、2時に業務用スーパーで買い物をするために集合することになる。現地というのは友達のヤナカの実家であり、ヤナカは去年に父親を癌で亡くしており、今は母親と2人ぐらしである。桜は庭に咲いている、とヤナカはメールで伝えてきたが、私はヤナカとは小学時代からの幼馴染で、何度もヤナカの家に行ったことはあるが、庭に桜があるとは知らなかった。ヤナカの庭について言えば、親父さんが生きている頃は親父さんの車は日産で、庭にはカーポートが建てられ、その下には日産が駐車されていた。また、親父さんはゴルフが趣味で、加えて私たちが小学時代にはちょっとしたゴルフブームがあって、私たちは学校帰りに無断で道端の畑の桑の枝をへし折ってゴルフクラブに見たて、それでゴルフごっこをして遊んだ。球は普段は小石を使用したが、冬になれば氷がとれるので、それを手頃な大きさに割ると、小石よりも全然遠くまで飛んだ。ある日曜日にヤナカに呼ばれてヤナカの家に遊びにいくと、親父さんが庭の真ん中に穴を掘ってそこに細い木の棒を立て、さらには棒の先に手ぬぐいをくくりつけて旗に見たててカップとし、即席のゴルフコースを拵えてくれた。そして私たちは親父さんも交えて、本格的なゴルフごっこを楽しんだ。

 それから20年以上が経ち、私はヤナカの家に行くのは随分久しぶりだったので、流石に庭のゴルフコースはないだろうが、カップの穴の名残だとか、または完全にそれが消えてしまっても「この辺りに穴を掘ったよね」みたいな会話ができるのではないかと期待した。

 私は妻の車の運転で、子供たちと一緒に業務用スーパーへ向かった。そこは私の家からは近所にあって、裏道から一本で行けるので裏道を通っていき、途中には工場があってフェンス沿いに桜が植えてあった。桜は週の途中で満開を迎えたが、昨晩はかなり強い風が吹いたので、道には既に散った花びらが積もっていていた。工場は玩具工場であったが、外から見た感じでは、玩具を製造しているようには見えなかった。何年か前に妻が、そこでパートをしているという知人に、余った玩具をもらったことがあった。幼児用の、プラスチック製のタイヤがついた乗り物であったが、色は青で子供は女の子だったので、子供はあまり喜ばなかった。乗り物は部屋の隅に放置され、いつまでもぴかぴかのままだった。

 駐車場に車を停め、近くに友人の車はなかったので、私たちは一番乗りだということがわかった。ポケットから携帯を取り出すと2時3分だった。先に中で待っていることにして、後部座席のネモちゃんをチャイルドシートから降ろした。ネモちゃんは私の友達とは1年ぶりくらいに会うので、緊張していて、昨晩は挨拶の練習をした。「こんにちは」を10回言うと自らにノルマを課し、しかし夜寝ると忘れてしまう恐れがあるので、紙に書いて壁にセロテープでとめた。壁紙はざらざらして剥がれやすいので、セロテープは長めのものを2枚とった。貼り付けられた紙は、元は私の会社で印刷された出荷一覧で、期間が過ぎたものを、私がもらってきたものだった。

 オレンジ色の壁の、業務用スーパーの自動ドアをくぐると、そびえ立つように缶ビールのダンボールがメーカーごとに積みあげられており、私はそのダンボールのにおいを嗅いでいるうちに尿意をもよおした。この業務用スーパーは以前はゲームセンターであり、ビールのコーナーは元々UFOキャッチャーの台が置かれ、トイレはプリクラの台の裏側にあった。妻にトイレに行くと言ったら、「いってらっしゃい」と言われた。

 

 トイレのドアを開けると、そこは公民館の玄関になっていて、コンクリートの上にすのこがL字型に敷かれていた。右側には下駄箱があり、下駄箱には黒い革靴がびっしり詰まっている。私は1番下の段の手前側に自分のスニーカーを入れた。スニーカーは白のアディダス製で黄緑色のラインが引かれていて、これなら酔っ払っても間違える心配はないだろうと思った。下駄箱の上にはカレンダーと、暴力団追放のポスターが貼られていた。カレンダーには13日の部分にマジックで丸が付けられている。今日は6日なので13日はまだ先だ。カレンダーは、最初に目に入ったときから、違和感があった。よく見ると日にちが飛び飛びになっており、13日の隣は21日でその先は34となっていた。34の次は55でその次は89だった。数字はどんどん大きくなっていき、まったくカレンダーには見えなくなったが、私はそれは特殊な職業の人用のカレンダーではないかと想像した。数字が31よりも大きくなるのは、サイクルが1ヶ月よりも長いからだ。私はそうやって無理に納得することができたが、ネモちゃんに質問されたらどうしようかと、私は考えた。ネモちゃんは最近になって100までの数字を覚えた。たまに56や66を飛ばすが、私が指摘すると「飛ばしてない」と怒った。私たちは風呂に入っているときに、100まで数えた。壁面のタイルには、100以上のの水滴がついていた。

 後から数字の並びについて、私はそれはカレンダーではなく、フィボナッチ数だよ、と教えてもらった。

 玄関の先は廊下になっており右側が広間となっている。襖を開ければ中に入れるが、そこから入ると上手に出てしまうので、注意しなければならない。左側はトイレとなっており、トイレは男性用と女性用、さらにその間には身障者用のがあった。身障者用のは引き戸になっていて他の扉よりも大きかった。私は身障者用のトイレに入って用を足した。普通のトイレよりも清潔だと思ったからだ。身障者用トイレは普通の個室よりも断然広くて落ち着かなかった。

 私はトイレを出てからまっすぐ奥まで進み、お勝手に通じるドアを開けた。宴会のときなどは、そこには区長の奥さんたちがいて、飲み物の準備などをしていたりするが、今は誰もいなかった。もしその人たちがいたら、私は先に挨拶を済ませておこうと思ったのだが。

 お勝手には中央に肌色の木のテーブルがあり、真ん中には長丸のプラスチック製のお盆に、醤油とソースと七味唐辛子の瓶が載っていた。私は七味唐辛子は冷蔵庫で冷やした方がいいと、以前誰かに聞いたことがあったから、冷蔵庫にしまおうかと思ったが、私の家ではないのでやめた。冷蔵庫には磁石でゴミ出しの日程表が留められていた。私の家にあるものと同じだった。日程表の隣には町内の交流会の案内、つまり今日の集まりのことが出ていて、その日にちは確かに4月6日の今日に間違いはなかった。冷蔵庫の左側にグレーの色のゴミ箱が2つあり、片方が燃えるゴミでもう片方がビニール類であるのだろうが、見かけ上は同じなので、どちらがどちらなのか、特にあまりここに慣れていない人ならば間違えるんじゃないかと心配になった。流し台の脇には茶色の四角いお盆があって、洗いたてのガラスコップが逆さまに隙間なく並べられ、それを見て私は「やはり時間を間違えたか」と思った。完全に1人きりだと思っていたので、実際に声にも出してみた。私の声は、私自身では高いと思っていて、カラオケでも余裕で裏声も出せるが、つい最近

「低いよね」

 と会社の先輩に言われた。その先輩は去年の年末に離婚をしたばかりだった。私は反論したい気持ちもあったが黙っていた。そういえばここ数年はカラオケにも行っていなかった。