意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(6) - (10)

※前回

余生(1)-(5) - 余生

 

 すると、ドアの向こうから「誰かいるのか?」と声が聞こえ、ドアとは私が入ってきたガラス戸ではなく、右側の木の引き戸の方から聞こえた。そういえば下駄箱には黒い靴が詰まっていたことを思い出した。交流会は4時からの予定で、私は2時3分にここへ来たのだから、早すぎたのだが、区長などはその前に定例会を開いていたから、すでにみんな揃っていたのだ。

 私はこのまま気配を消して玄関まで走り、逃げてしまおうかと思い、

「にゃーん」

 猫のふりをして、誤魔化す作戦に出た。するとガラッとドアが開き、そこにいたのは区長の1人のオカダさんだった。オカダさんだとわかった私は、すぐに「お疲れさまです」と改まって挨拶をした。表情は半笑いだった。台所にいたのが私とわかれば、オカダさんの警戒も解けるだろうと私は期待をしたが、しかしオカダさんは表情は硬いままで、それを見た私も動きが止まり、何を言われるのかと思ってオカダさんの表情に注目していた。オカダさんの顔は面長でホクロが多く、痩せ体型だった。私よりも背が高いので、私は見上げるような体勢になっていた。オカダさんは

「もしかして、今の話聞いちゃった?」

 と聞いてきたので、私は

「何も聞いてないです」

 と正直に答えた。オカダさんは両手をこすり合わせた後に腰にやり、その動作はゆっくりしていたので、私は信じていないんだなと思った。

「本当ですって、なんも聞いてないです」

 私は少し笑いながら、冗談っぽく言ってみた。しかし疑われて心外だという風も伝えたくて、最後まではっきりした口調で伝えた。そうしたら口の中が急に痛くなった。それは3日前に歯医者へ行ったからで、私は虫歯はなかったが、半年に一度の定期健診のハガキが届いたので歯医者へ行き、そうしたら受付の女の子が以前と変わっていて、もう女の子ではなかった。品のある眼鏡をかけたショートカットの中年だったので、国語の先生のように見えた。以前は若い女の子で、その女の子は可愛かったが歯並びが悪く、私はそれがいつも不思議だった。床屋が不潔なダサいヘアスタイルにするのと同じことなのかと、帰りの車で考えたりした。床屋は、自分の髪を切ることができないので、腕のいい床屋ほど下手くそな髪型をしていると、以前聞いたことがあったからだ。しかし彼女は歯医者であり、しかもただの受付なのだからこのことは全く関係ないだろう。私の家は歯医者のすぐそばにあった。

 定期健診では、歯周病になりかけていると言われ、麻酔をして歯周ポケットの汚れを掻き出してもらった。歯医者はかなり力任せに私の歯茎をほじくった。そのときの麻酔の注射のあとが膿んでしまい、口内炎となって、今、語気を強めたら痛み出した。私は一層険しい顔つきになった。 

 オカダさんは無言の威圧で、私が観念するのを待っているようだったが、次の瞬間銃声が鳴って、オカダさんは背中から撃たれ、私の方へ倒れかかってきた。私は反射的に身をそらし、オカダさんの死体は畳に上に倒れた。流れ出た血が畳に染み込んだ。私は一瞬何が起きたのか理解できなかったが、咄嗟に身をかがめて頭をおさえながら広間の奥の方へ目をやると、そこにはお座敷用の長机がコの字に並べられ、オカダさん以外の区長が4人と、評議委員の人が5人いた。私の住んでいるK地区は町内が5つに分かれていて、それぞれに区長を選出することになっている。任期は2年である。区長の前の2年間は、評議委員という役職について、区長を補佐する。

 私は奥の9名の役員に向かって、

「お疲れ様です」

 と大きな声を出して挨拶をしてみた。もう口の中は痛くなかったが、代わりに私の声がどこか変だった。大きな銃声を耳にして、鼓膜が少ししびれてしまったようだ。するとコの字の真ん中にいた代表区長のキクチさん(K地区南選出)が、

「ご苦労様」

 と返してくれた。キクチさんはオカダさんを撃った銃を持っていたから、私は自分も撃たれるんじゃないかと警戒していたが、口調が穏やかだったので、以下のように考えて警戒を解いた。

 つまりオカダさんは私が聞いたと思い込んでいる話の内容を知りたがったが、確かにそれは部外者に聞かれてはマズい内容だったが、肝心の部分について理解されていないのなら、さして害はなかった。だから無理に聞いた内容を問いただすよりも、優しく声をかけて警戒を解き、それとなく確認すれば良かったのだ。それなのにオカダさんは先走ってしまい、かえって私の警戒感を強めてしまった。オカダさんが殺されたのはそのことに対するペナルティなのだ。一方私はそうであれば、とりあえず私が撃たれることはないし、この先ひどい目にあうリスクも少ないだろう。なぜなら私は、そもそもの話すら何も聞いていないのだから……。

 とりあえず私は区長の方へ行こうと思ったが、オカダさんの血が靴下についてしまわないように、注意深くオカダさんの死体をまたいだ。そこで私は、うっかり5本指ソックスを履いてきてしまったことに気づいた。5本指ソックスは私の中では仕事用と決まっており、プライベートでは履かない。以前5本指ソックスを履いて母親に「おっさん臭い」と笑われてからは、ますます履かなくなった。仕事では長靴を履くときもあり、長靴はぶかぶかなので、以前は普通の靴下を履いていたが、長靴の中で脱げてしまうことが度々あって、私は大変不快な思いをしていた。そうしたらある日後輩のH・K君が、ワークマンに売っている5本指ソックスがいいですよと教えてくれた。これは何がいいのかと言えば、5本指であることに加え、土踏まずの部分にアーチがあってゴムが引き締めてあるので脱げにくく、さらには疲れにくいというのである。H・K君は元はスポーツ量販店に契約社員として勤めていて、そういうスポーツウェアに関してはとても詳しく、また、接客業をやっていたのでこういう話し方もとてもうまかった。話を聞いて私は一気にその5本指ソックスが欲しくなり、幸い私の帰り道にはワークマンがあったので、私は早速帰り道にそこへ寄って購入しようかと思ったが、帰り道にiPhoneをカーステレオにつないで音楽を聴いていると、私はついつい音楽に夢中になって、寄るのを忘れてしまう。H・Kくんいわく、土踏まずにアーチがついているソックスをスポーツショップで買おうとすると、一足で1000円以上するそうだ。そして、私はそれをやがて購入するのだが、そこまで勧めてきたH・Kくんも、とうぜんそのソックスを履いて仕事をしていて、それはH・Kくんの説明が嘘ではないという証明になるのだが、私はH・Kくんとお揃いになってしまうことに、どこか抵抗があった。そこで靴下コーナー漁って他のを探してみるが、土踏まずにアーチがついている靴下はこれ以外なかった。私は、H・Kくんは、だからこそ勧めてきたのではないかと疑った。

 ソックスはホワイト、グレー、黒の3種類なのだが、H・Kくんはグレーを履いていた。私は黒を選択した。そうしたら妻にはおじさん臭いと言われ、不愉快だった。その理由は、私も買うときに同じことを思ったからである。

 私の会社は週に5日、第1週と5週に関しては土曜日も出勤することとなっている。その週は6日出る週で、H・Kくんは衣類に関しては一週間に同じ服を着ないと自分の中で決めており、従ってソックスに関しては同じ3足セットを2つ購入している。そうしないと生地に負担がかかって早く駄目になるから、という話であった。服に関しては、私の仕事は白いツナギを着て作業をするのだが、ツナギは3着しか会社から支給されない。H・Kくんは毎日きちんと洗濯をし、3着の襟の部分に色の違うマーカーで番号を振り、きちんと同じ順番で着用できるようにしている。1が赤で2が紫、3が緑であった。ツナギには胸の部分に会社のロゴが入り、社外には持ち出し禁止なので、作業場の窓際にある洗濯機で洗うことになっている。H・Kくんが入社するまでは、私は冬場だったり、暇だった日は、洗わないで2日続けて着ることもあった。