意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(36) - (40)

※前回

余生(31) - (35) - 余生

 

 ところでこの時の私は、携帯電話を持ってきてはいなかったので、正確な時間がわからなかったが、とっくに練習は終わっていると判断し、なるべく早足で道を引き返した。下の子はほとんど走っているような状態で、手の中のザリガニは腹を上に向けられ、腕が千切れそうに上下に揺れた。私はその辺に逃がしたらどうかと提案したが、無視された。私はかつて志津が学校へ入ったばかりのころに、ザリガニを捕まえてきたときのことを思い出した。課外授業か何かで釣ってきたのだ。私はザリガニは臭いから、世話は義父母に任せ、1度もその姿を見なかった。数日したら死ぬだろう、そうしたら義父が庭に穴を掘って埋めるのだ、と予想を立てた。ところが何かのきっかけで、志津がザリガニの面倒をみないというのが家庭内で問題となり、今後も面倒をみないのなら、「責任」を取って元いたところへ逃がすことになった。そして、なぜか私が志津を車に乗せてザリガニをそこまで連れて行く役目になった。

 ザリガニは瀕死だった。虫籠を揺らしても重そうにハサミを動かすだけであった。私はハンドルを握りながら、義母の世話の仕方が悪いせいだと思った。義母は植木鉢の陰に虫籠を置いていたが、そこはすのこの台の上で、水温が上がり過ぎたのだ。志津はそのとき小学1年か2年で、志津の指示によって車を走らせたが、学校は休みの日で人影はなく、途中からどこが目的地なのか不明瞭になった。面倒臭くなった私は学校の裏手の水路の脇に車を停めた。水路の周りは畑ばかりだった。

「違うよ」

「いいよ。もう死にかけてるんだし」

 そう言って私はガードレールの向こうに手を伸ばして、虫籠を逆さにした。落ちたザリガニは石にぶつかってから水に落ちた。志津が笑いながら

「やばいって」

 と言った。

「大丈夫、多分生きてる」

 私は水底の方を見ずに言った。志津はガードレールの下に体を潜り込ませて覗き込んでいたので、このまま水路に落ちてしまうんではないかと心配になった。私はこの様子を誰か知らない人に見たら、水路に落とそうとしていると思われそうなので、早く帰りたかった。

 志津はそれから6年後に中学に上がり、5月頃からある女子のグループから嫌がらせを受けるようになった。相手は4名か5名であり(相変わらず志津の説明は不明瞭だ)そのうちの2人は同じ小学校出身で、なおかつK地区に住んでいた。最初は音楽の時間に、合唱の並びに移動する際に足を踏まれたとか、そんな些細なことだったので、私も妻も

「やられたらやり返せ」

「他の人とつるめ」

 とアドバイスをしたが、ある朝突然私たちの寝室へやって来て

「学校行きたくない」

 と言い出した。私は半分眠った状態でその言葉を聞き、しかも先に妻の方が返事をしたので、私は聞こえなかったふりをしてこのまま寝続けようかと思った。志津は吹奏楽部に所属していて吹奏楽部には朝練があるため、私は普段ならまだ寝ている時間だった。ネモちゃんもまだイビキをかきながら、私の脇腹に頭をねじ込ませていた。私たちはシングルとセミダブルのベッドを繋げて1枚の大きなベッドとし、そこに3人で寝ていた。

 妻はすぐにヒステリックに

「なんで?」

 と理由を知りたがり、志津がはっきりと答えないので、私にどうする? と矛先を変えてきた。私は頭は覚醒していたが、わざと寝ぼけた声で

「行きたくないなら行かなくてもいい。それは本人の自由だ」

 と答えた。当然妻は逆上した。

「このまま学校行かなくなったらどうするのよ」

「そしたらやめちゃえばいいじゃん」

「やめてどうするのよ」

「他の学校とか。あとは登校拒否の人が行くスクールとかあるじゃん」

「そんなのダメに決まってるでしょ」

 私はどうしてダメなのか、問いただそうとしたが、ケンカになるだけなので、言葉を飲み込んだ。妻はしまいには

「なんでうちの子ばかり」

 と泣き出した。志津の同級生の中には、4月の時点ですでに登校拒否になっている子もいたので、私は、志津がこのまま学校へ行かなくなっても、それほど突飛なことではないと思った。

 結局、学校を休みたいのなら志津本人が連絡をする、ということで話はまとまった。志津の担任は、入学してすぐに自分の携帯番号を黒板に書き、何か悩みがあれば気軽に電話してほしいと言っていた。「黒板に書き」というのは私の勝手な想像で、本当は口頭で伝えただけかもしれない。志津は早足で部屋を出て行った。まだ7時前だったが、志津の担任はソフトボール部の顧問で、朝練習に参加していれば、もう学校にいる可能性もある。自身も学生時代はキャッチャーをやっていてガタイが良く、髪を短く刈り上げた女性の教師だった。入学式で初めて見たとき、私は自衛隊が担任になったと面白がった。自衛隊の担当科目は数学であった。

 それから私は30分くらい二度寝をし、起きてからネモちゃんを起こし、ネモちゃんは昨晩も遅くまでYouTubeを見ていたので寝起きは悪く、抱きかかえながら1階に降りると、台所では義母がNHKの朝のニュースを見ていたので私たちが挨拶をすると、そろそろ腕の筋肉が疲れてきたのでリビングまで急いで行って、ネモちゃんをソファの上にどさりと落とした。ソファの上には、志津が昨日もらってきた学級通信と妻が昨晩記入した生協の用紙が置いてあったので、ネモちゃんの背中がぐしゃりと音を立てた。私はネモちゃんの目を覚ますため、素早くテレビの主電源を入れ、チャンネルをEテレに変えた。すでに志津の姿はなく、流しの前で水筒にお茶を入れている妻に聞いたら

「ゆっくり休んで、だって」

 と教えてくれた。リビングの上が志津の部屋となっていたが、物音はなにもしなかった。

 それから私は仕事に行き、妻は仕事の気分じゃないと言ってパートを休み、6時半に私が家に帰ると、5月の半ばだったので、辺りはまだ明るく、国道から左に曲がって坂を上がると私の家はあるのだが、庭の駐車場が見えてくると、そこには巨大な、戦車のような黒いRV車が停まっていた。通常なら3台まで車をおさめることができる駐車場だったが、私は躊躇して路肩に車を停めた。玄関先では義父が下着姿で煙草をふかしており

「先生来てら」

 と教えてくれた。

 リビングには教師が2人おり、1人は自衛隊だった。もう1人は見たことのない、初老の女性教師であった。テーブルに置かれたコップの麦茶の残量から推測すると、2人が来てからそれなりの時間が経ったようだ。軽い冗談を言い合うような、和やかな雰囲気の中、志津の表情にも今朝見た時のような思いつめた様子はなく、鴨居の上でとりあえず挨拶をした私は、その後どう話に入っていいのかわからず、とりあえずドアのすぐ脇の、絨毯が途切れた床の部分に正座をした。麦茶の置かれたテーブルには、確か朝まではコタツの布団がかけられていた筈だが、今はどこかへ片付けられていた。今まで話の邪魔ばかりしていたネモちゃんが、無言で私の方へやってきて、膝の上に腰掛けた。

「話を聞いてみたら、ちょっとした気持ちのすれ違い? て言うんですかね、お互いに誤解してしまったところがあるようです。だから、明日2人で話をさせてみようかなって思ってます。もちろんわたしも立ち会いますが」

 私は昼間仕事をしながら、志津のいじめについてどんどん想像がエスカレートし、今やクラス中の男女から無視をされているとか、給食に粘土を入れられたとか、考え、やはり今日学校を休ませたのは正解だと考えていた。ところが担任の口からはいじめのいの字も出てこなかったので、私は拍子抜けしてしまった。同行の女教師(国語担当)が

「入学したばかりだと、こういうことはよくあるんですよ」

 と追い打ちをかけ、いよいよ志津の一件は相対化されてしまった。私のほうも

「入学したばかりのころは、もう楽しくてしょうがないって感じだったんですけどね。それがここ2、3日で急に行きたくないってなっちゃって、もうどうしていいのかって感じで」

 と、わざと頼りない風を装った。後から妻に笑われたが、私の言った内容は、その少し前に義父が言ったことのそのままだったらしい。朝までは、志津は腹痛で休んでいると聞かされていたくせに、なんの臆面もなく話に割り込む義父が腹立たしかった。

 翌日には志津と当事者で話し合いが行われて無事解決し、その後は家での話題にも上がらなくなった。

 それから1年後に、今度は小学校に上がったばかりのネモちゃんが、行きたくないと言い出した。前の席の男の子がプリントをまわしてくれない、嫌がっているのに、鼻先に虫を近づけてくる、などがその理由だ。こうして文字にしてみると他愛のないことだが、やはり志津のときと同じように、私は学校へ行くべきではないと主張した。志津には行くなと言いながら、ネモちゃんには行けというのは、アンフェアだし、後々志津に恨まれる気がしたからだ。しかし今回は妻も

「じゃあ休むか」

 と同意をし、すぐに着替えて通学班の集合場所に欠席カードを持って行った。私はネモちゃんの支度を手伝う必要がなくなったので、二度寝をした。妻は8時が過ぎたころに学校へ連絡し、担任に取り次いでもらって状況を説明すると、その男の子については、注意して行動を見てみます、ところで今日は心電図の検査がありますがどうしますか? と聞かれた。心電図なんて、子供がそうそうに不整脈の疑いなんてならないし、もちろん不整脈を調べるだけが検査ではないことは承知していたが、私はそれがイジメよりも重要なこととは思えなかったので、そんなことを言う教師の神経を疑った。ちなみに私は年明けの会社の健康診断では、心電図の結果にいくつかの途切れがあり、問診のときに紙を見せられ、それはただのボールペンのインク切れのように見えたが、そこが脈の途切れた箇所で、不整脈とは言い切れないが、専門医に観てもらった方がいいと言われた。私はしかし、面倒なのでそのまま放置している。教師はもし、今日の検査を受けなければ後から市民病院か、S病院に行かなくてはならないと説明し、心電図の時間だけ登校したらどうかと提案をしてきた。それを聞いた妻は、電話を切ると行くべきか私に相談してきた。私は、当然ながら心電図など後回しで良いと言った。気の利く教師であれば、他の生徒と鉢合わせしないよう配慮してくれるのかもしれないが、今の電話のやり取りで、とてもそんなことは期待できそうになかった。