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意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

意味を喪う(6)

意味を喪う

敦子が部屋にやってきた。敦子とは中学の頃の同級生である。部屋とは関越自動車道の、東松山インターの近くのラブホテル部屋だった。私はデリバリーヘルスで敦子を指名した。もちろん敦子という名前ではなかった。写真も違う。そのお店は時間三分前まで射精OK、というのが売りであった。私はたくさん射精したいわけではなかったが、その売り文句に妙に惹かれて敦子を指名した。

しかしながら私はもちろん、敦子でない風を装った。敦子とは小・中が一緒だったが一度もクラスが同じになったことがない。私が小学校の時は学年で100人いてクラスは3つあり、クラス替えは二年に一回だった。私の記憶する限り敦子と会話をしたことはない。私は地元でデリヘル呼んで、逆をついたつもりだったが、それは向こうも同じだったようだ。「逆をついた」というのはつまり、地元でデリヘルを頼むと同級生がやってくるリスクがあるが、しかし人口の絶対数で考えれば東京で頼む方が知り合いがやってくる可能性が高い、という意味だ。「向こうも同じ」というのは、都内でデリヘルに勤めるよりも、地元の方がリスクが小さいという意味だ。交通費も安く済む。つまり敦子は今も地元に住んでいるという意味だ。敦子はパーマ屋の娘である。フリルのついた半円の軒のついた入り口だった。私は敦子と会話はしたことがないが、家は比較的近くだった。祖母も敦子のことを知っている。家とは祖母の家だった。下手をしたら遠い親戚かもしれぬ。だからといって、私は今ここで敦子と性行為することにひるんではいなかった。しかし、わざわざ「ひるんではいない」と表明するあたりが、私の弱気を示している。私は敦子相手にきちんと勃起できるのかどうか、シャワーを浴びながらチェックしてみることにした。
「......チンチン......チンチン......」
結果は大丈夫そうだった。いつもそうするように、性器から念入りに洗った。石鹸を塗りたくった。性器を洗う度に、私は村上春樹海辺のカフカ」のことを思い出す。確かそういうシーンがあった。「そういうシーン」とは、性行為ではなく、性器を洗うシーンである。主人公はまだ中学生か高校生だった。ジョニー・ウォーカーという悪の人が出てきて、読者の誰かが、
「もし海辺のカフカをドラマ化するなら、ジョニー・ウォーカー役は北野武がいい」
と言った。村上春樹も「悪くないですね」と同調した。村上春樹からしたら、どっちだっていいのである。私はそれよりも、「カラマーゾフの兄弟」のアリョーシャ役を高嶋政伸がやったらどうか、というのが面白かった。
「ちょっと純粋さが足りない」
というのが村上の回答だった。それが愉快だった。こんな話を敦子にしても通じるだろうか。無理だろう。敦子は国語がダメな女だった。音読は漢字はもちろん、平仮名でもつかえがちだった。私は音読はめちゃ得意で、先生には
「100点プラス花丸」
という評価を頂いた。前の子がすでに100点だったから、花丸は苦肉の策だった。しかしその頃私は二年生で「+」は「たす」としか習わなかったのに、「プラス」なんて知っていたのだろうか。担任は定年間近のおばあさんの先生だったから少しボケていたのかもしれない。

もちろん「敦子は国語がダメな女だった」というのは、私の勝手な妄想だ。私は敦子と同じクラスになったことはない。その頃私はすでにシャワーを浴び終え一応丈の短いバスローブを羽織ってベッドに座り、敦子が浴び終わるのを待っていた。私はシャワーはいつも素早く浴びることにしていて、それは貴重品を盗まれやしないか冷や冷やするからであった。だから、性器もそれほど念入りに洗えているわけでもなかった。お店によっては貴重品の扱いについて、ちゃんと書面を渡してくるところもあったが、敦子のところはなかった。まあいいか、と私は思った。盗まれたら敦子の親に払ってもらえば良い。敦子の家のパーマ屋はまだ営業しているのだろうか、建物はまだあるが、私が子供の頃からやっているのか怪しい店だった。出窓にはブラインドが下げられていて、隅っこにスズメバチの死骸が転がっていた。なかなか物騒な店だ、と当時の私は思った。当時の私とは、18インチのタイヤの自転車を乗り回している私である。ガラス戸から見える棚に猫の置物があった。外国の猫のようであった。客はおろか、店の人間もいなかった。照明もおち、もしかしたらもう店はやっていなかったのかもしれない。敦子の店は坂の途中にあり、隣は釣具屋だった。釣具屋は割と早い時期につぶれた。

敦子は行為の直前に、私が6年3組であったことを見抜いた。もちろん最初から知っていたのである。

私は2度射精をし、それから地元トークをした。敦子の家のことは話題にならなかった。その代わりに、敦子は当時の6年3組に入った不審者について知りたがった。不審者とは、正確に言えば悪戯者で、あるとき私たちの教室に忍び込み廊下側の壁に掲示されていたクラスメート各人の歴史新聞に女性器の絵を書いて回ったのである。絵はデフォルメされていて、絵というより図形に近くピンク色の蛍光マジックで描かれていた。歴史新聞は各人が縄文時代から一部ずつ発行し、上に貼り付けていくルールで発行間隔はそれぞれで早い人はすでに江戸時代、遅い出来損ないは未だに米作りやネズミ返しなどをニュースとして扱っていた。しかしこの不審者の女性器のせいで、一番上の新聞は剥がして処分しなければならなくなり、江戸時代の人は安土桃山に、鎌倉時代の人は平安時代に逆戻りした。ちなみに私はそのときは奈良時代で大仏を大写しで書いていて、しかし女性器の難は逃れたため、奈良で踏みとどまった。一部の人は私が平安から奈良になったのだと思った。

「ウケるよねー」
と私が詳細を説明すると敦子は自分の感情をそう表現した。敦子はいつのまにか服を着ていた。私は裸だった。時計を見ると予定時間が過ぎていた。敦子はシマシマのセーターを着ていた。冬だった。まさか冬だったなんて、書いている私も驚いた。縞は三色だった。敦子の知りたいのはそこだった。そこ、とは、3組の女性器事件のことである。3組は校舎のいちばん端だから狙われたのだ。1組は奥だったから無事だった。1組も歴史新聞をやってたかは知らないが、やっていただろう。私は靴下を履いた。足がいちばん冷えるからである。