意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

意味を喪う(5)

書いている。書くというのは読むと同義であり、小説とは誰よりも書いた本人がいちばん読んでいる、と言ったのは保坂和志だった。だから私も読んでいる。書いていると言ったのは嘘だ。第4回まで更新した分を読み返したが、まるでダメだった。ダメというと何かに対してダメであり、そうすると私はダメではないなにかの、具体的なイメージを持っていそうだがそんなものはなかった。結局何を書いてもダメなのだ。カフカ「城」について書こうと思い読んでいたが途中で読まなくなってしまった。私の話である。「城」にはルイージとマリオのような二人組の助手が出てくるが、この二人が不愉快極まりなくそういうところが実際のマリオとルイージにそっくりであった。とにかくこの二人は出しゃばりなのである。そういうところが志村にそっくりであった。私は志村が実のところ嫌いであった。春から嫌いになった。それまではあまり接点がなかった。例えば志村は飲みかけのコーヒーを中身をあけないままにゴミ箱に捨てた。ゴミ箱とは会社内の倉庫内に設置された自動販売機の横のゴミ箱であり、それは業者が新しいこれから飲む飲料を補充するときに片付けるゴミ箱であり、だから志村は社内の誰にも迷惑をかけていないからOK、という理屈だった。確かに志村自身が自覚しているかは知らないが、この行為にはさらに会社の流しを汚さないというメリットがあった。流しは決まって15日ころに営業所長の野村が

「汚ねーな」

と言い出し、20日くらいに事務の早坂が掃除するという流れだった。早坂は痩せぎすで、カクカク歩く女だった。関節がカクカクしていた。車はうぐいす色のヴィッツに乗っている。お店に行ったら熱心にアクアをすすめられたが、自分が選んだのは、ヴィッツであると、この前話していた。この前というのは、まだ昨日の話だった。昨日は飲み会があった。帰りの電車で木原が吐いた。木原は所長が新河岸で降りてから吐いた。木原は中途入社で、昨日は木原の歓迎会だった。木原はひとりだけ座っていて私は

「新入りなのにずるいなー」

と思っていた。私は円形の吊革を握りしめ、両手で上半身の体重をかけたから、吊革の革のぶぶんがみしみしと音を立てた。私はお酒を飲んでいたから大胆になっていた。吊革を中心にして、電車の揺れに体をまかせていた。吊革は窓側に傾いてバランスをとっていた。川越線なので私の体は東西に揺れていた。駅に着いたら大きく揺れた。川越についたら東上線に乗り換えて、今度は北へ向かっていく。そのときは座れるかもしれない。最初は座れなくても、何駅かすれば自然と座れた。北のほうにはあまり人が住んでいなかった。母は豊島区の出身で、こちらに嫁いだ頃姑に、

「こちらは自然がたくさんあって」

と言ったら、

「こっちはまだ都会だ。自然はもっと山にいけばある」

と嫌な顔をされた。姑は80歳目前で死んだ。最後は息子の顔もわからなくなった。舅はもっと前に事故で死んだ。それについてはまた改めて書こうと思う。今は木原の話だ。実は木原が吐いたのはもうずっと前の話で、私はまだ前の会社にいた。正確には前の前の前で、木原も私よりも後輩だが、年はいくつか上だった。パールのエンジニアだった。ジャバだったかもしれない。木原は忘年会で日本酒をゴクゴク飲んで吐いた。浮浪者みたいな顔の焼けた男が、読んでいた新聞を床に向かって投げた。投げたのはスポーツ報知であった。それを雑巾代わりに、使えという意味である。電車は動き出していた。それを合図に何人かがポケットティッシュを投げた。一緒に乗っていた、和田が頭を下げた。和田、と言ったがもう私はその名前を忘れた。もう8年くらい前の話だ。まだ志村にも野村にもうぐいす色のヴィッツに乗った早坂にも会っていなかった。早坂は結婚前だから、まだ違う名字だった。車も違うのに乗っていたが、色はやはり緑だった。野村は係長にもなっていなかった。家具屋で倉庫の管理を行っていた。

「家具屋が粋がってんじゃねーよ」

とあるとき飯島さんが言った。作業場のドアが開けっ放しだったのを野村が注意したからだ。野村さんは定時制高校を出ているが、なかなか合理的な発想をする。私はピカソのように過去を重ねる。