意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2014/1/31

 しかしたまには寂しい気持ちもあり、また妹や弟がこのあと私の年齢に達したとしても、部屋数の都合から、ひとりで寝るようになるとは考えられないと私は思ったので、私は家族と一緒に寝る権利があるような気がした。父の仕事は定期的に泊まりの日があって家に帰らない日があったので、そういう時私は父の布団で寝た。父の布団は母のものよりも分厚く、当然子供たちのものよりも分厚いので気持ちよく眠れた。私は多少の後ろめたさを感じ、また、母が父に私が父の布団で寝ていることをバラして笑われることを恐れたが、そういったことはなかった。母は父が不在の時でも黙って布団をひいてくれた。たまに私が勘違いをしてベッドで寝てしまっても、怒られることはなかった。

 ある時、父が泊まり仕事から帰ってきた日の夜、家族で食卓を囲んでいるときに

「鼻が痛い、誰かに殴られたようだ」

 と話しながら鼻を押さえていた。話を聞くと、どうやら夜職場のベッドで寝ている時に、仲間の誰かに鼻を思い切り殴られたらしい。仲間というのは父は障害者の自立支援の施設で働いていて、障害者のことを仲間と呼んでいる。障害者なので時々発作を起こして 暴れてしまう人がいるのだ。私は中学生のときに、父の職場の行事でキャンプへ行く時に、それについて行ったことがあった。私はその時は自分で申し出たが、その動機は、父の仕事に興味があるというよりも単にキャンプがしたかったのだ。私は当時はキャンプが好きだった。施設の方では人手が不足しているので、私のことをボランティアとして歓迎をしてくれたが、父の方では私では足手まといになるだろうと心配し、食費を家から持ち出すことにした。

 何人ずつかの班に分かれて食事や作業を行った。班は幼稚園のときのようにそれぞれ名前がつけられており、男の多い班は「ドラゴンボール班」と「スラムダンク班」で、女性中心の班は「バラ班」と「おはな班」だった。私はスラムダンク班だった。スラムダンク班のメンバーの中には、突然暴れ出す人もいて、その人は私よりも体格が良く、身長は180センチはあったので、あまり近寄らないようにしてくれと、職員の人に注意された。

 私は言われた通りに、遠目でその人の動きを見ていたが、テーブルなどを乱暴にばんばん叩いたりして、確かに危なそうだった。白のランニングシャツを着ていたが、襟の部分は伸びきって染みだらけだった。おとなしく突っ立ているときもあったが、そういうときは自分の性器をいじっていた。女の職員は彼の性器の方は見ずに、手にスプーンを持たせた。中年の女の、腰の曲がった肌の汚い障害者が

「食事なんだから、そんな汚い所触っちゃ駄目だよ」

 と注意した。彼は奇声を上げて反応をした。まともに言葉を喋れる風でなく、やがてスプーンを放り投げた。一日目はカレーライスとサラダだった。サラダの中にはトマトも入っていて、私はトマトは嫌いだったが、そのときは好物を装って食べたら意外とおいしかった。

 三日目の昼は、渓流のそばでニジマスの塩焼きを食べた。テーブルは粗末なつくりで、魚の載った皿にもなんの模様もなかった。

「お前みんな食っちまったのかよ」

 父の声がして見ると、言われた彼は指をしゃぶりながら、ぶつぶつと何かつぶやいている。皿の上のニジマスは何もかもきれいさっぱりなくなっており、彼は私たちが気付かない間に、魚の頭も骨も、全部平らげたのだった。

「普通はお前、頭とかは食わねえんだぜ」

「うまかったから全部食っちまったのか」

 父の問いかけに、彼は机の端に視線を留めたままで、相変わらず指をしゃぶりながら、小声でつぶやいている。しゃぶっていない指が、せわしく上下に動く。聞き取れる単語もあったが、文章として意味がないのは明らかだった。それでも父は満足そうな顔をし、やがて肩から下げていた一眼レフで、彼の表情を写し始めた。私は彼の違った表情を引き出してやろうと思い、

「私はこの人の息子」

 と父と自分を指さしながら説明してみた。未開人と話すときのように、単語で区切り、ゆっくりと話した。彼は一瞬動きを止めたが、すぐに元の機械的な動きに戻った。

 キャンプは2泊3日で行われ、それは時期的には7月の半ばだったので、帰りの車でラジオをつけると、プロ野球オールスターゲームが行われていた。2日目には、朝からおにぎりを握って、滝を見に行くハイキングを行い、私は滝の名前も風景も忘れてしまったが、途中までは舗装された道を歩き、途中のガードレールが切れたところで脇道に入った。ガードレールは所々錆が浮いていた。私は父のそばで集団のわりと先頭の方を歩いていたが、なるべく父とは他人の関係であるように振る舞い、私はなるべくなら他の職員とか、障害者の人と触れ合おうとして心がけた。父はガードレールが切れた箇所で、何度も地図を見ていたので、その間に集団の後ろの方を歩いていた人たちもやがて追いついた。私は父が道がわからなくなってしまったのではと心配になったが、単に後ろが追いつくのを待っていただけかもしれない。

 ところで私はこの滝の名前がどうしても思い出せないが、とても有名な滝で、名前を聞けば私もすぐにわかるような名称であることは私も勘付いている。しかしどうしても出てこないので、私は仕事中に、同僚にきいてみようかと思った。

秩父の滝なんだけど、あれ? 1番有名なやつ、なんていうんだっけ?」

 みたいな質問文を頭の中で組み立てた。質問をする相手はすぐ隣で作業をしている後輩のN君と決めているが、N君が特にこういう自然物の名称に詳しい人というわけではなかった。N君は元はスポーツ用品店に勤めていたので、どちらかと言えば、スポーツに詳しい。それなら彼の知っている滝の名前を、片っ端から挙げていき、私がそれを正誤判定するという方法もある。ただし、華厳の滝は私でも知っているからNGだ。もしN君が完全に言葉に詰まってしまったら、左隣のIさんに尋ねてしまおうか。Iさんは離婚をしているが、たまに子供と遊ぶ時などに群馬県の川へ行ったりすると前に話していたので、自然物には詳しそうだ。それなら最初からIさんに訊けばいいのだが、Iさんは先輩だったから遠慮したのである。しかもIさんは私のすぐ隣の席ではなく、間には、まだここへ来て2週間しか経っていないK君がいるので、Iさんに声をかけるためには大声を出さなければならない。仕事と無関係なのに大声で喋ったら、周りには嫌な気持ちを抱く人もいるだろうから、私は躊躇した。

(続く)

第1回


2013/12/11 - 西門