意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

2013/12/18

 私たちはすぐに第一音楽室へ向かい、もうそんなことはいちいちおぼえていないが、外掃除の班だったので、私たちは外履きを履いていたから、一度下駄箱へ向かい、上履きに履き替えてから第一音楽室へ向かったはずだ。下駄箱についての記憶はないので高校時代の下駄箱で代用すると、玄関は2階にあり階段は外に設えてあった。幅が広くて大変日当たりのよい階段であり、当時の私は中学にしろ高校にしろ、学ランを身につけており、黒い生地がふんだんに日光を吸収したので私は汗をかいた。さらに1年生の教室は4階にあったのだが、普通は2階の玄関から中へ入り、校舎の中央にある階段をのぼるが、私たちの教室は校舎の端っこのほうにあり、端っことは玄関側の端っこだったので、奥へ行かずにそのまま外階段で4階まであがれば近道となる。私たちがそうしなかったのは、たとえ外階段で4階へのぼったとしても、ガラスサッシの出入り口に鍵がかけられていたからである。中に人がいれば開けてもらえるが、そういう人が必ずいる保障はなかった。また、いても、わざと気付かないふりをする人もいた。

 しかしここで私は気づいたが、私は3階の存在を忘れていた。

 先ほど玄関は2階にあると述べたが、そこから外階段を利用するとしたら、教室は4階だから一気に2階分をあがっていく必要があり、果たしてそんなに階段は長かったのか自信がない。教室は確かに4階にあってそれは間違いはなく、1年生は3組までは3階、4から8組は4階で私たちは7組の生徒だ。

 だから一度玄関を入ってから上履きを履き、中央階段を利用して3階まであがり、そこからもう一度端っこに来てから外階段で改めて4階にあがったのかもしれないが、そんな無駄なことをするのだろうか? しかも今は急いで第一音楽室へ行かなければならないのに。

 しかし冷静になってみると、私たちが第一音楽室へ行くには、音楽室は別館の2階であるので、教室を経由せずに向かい、従って教室は3階でも4階でもどちらでも良かった。これを読んでいる人の中には持ち物のことを考える人や、例えば楽譜がなければ困るのではないか? と思う人がいるかもしれないが、私達はそれまでにもう練習をして、歌詞もメロディも頭に入っていたから問題なかったから、私たちは急いだ。

 東側の階段から1階に下りて渡り廊下を渡ると、そこでは吹奏楽部のホーンの音と野球部の音が聞こえたので、班の何人かはまるで自分が部活をさぼっているような気持ちになった。その渡り廊下からは、正門でも北門でもない、垣根の合間の、人がひとりやっと通れる出入り口が見えたからである。そこは通称「サボりロード」と呼ばれ、部活を無断で欠席した者が、人目につくことなく出入りできる通路だったのである。

 渡り廊下を過ぎ、別館の玄関には一辺30センチのタイルが敷き詰められ、それはどういうわけか、私が小学校の頃に踏みつけた図工室のベランダに似ていた。タイルにはひとつひとつに円形の模様が施されていたが、円周の部分の窪みには土が詰まっており、その土とは誰かの靴底についていた泥が剥がれて入り込んだものであった。それはいったいいつの時代の生徒のものなのだろう? そう考えるとこの通路は、小学校のものであるかもしれない。この通路は土足禁止ゾーンであり、それなのに土足で踏み込んでしまうのは、いかにも小学生にありがちだからだ。私が小学校のころ、小学5年のときに教頭が変わったが、それまでとは違う女の、大変厳しい教師であった。その女教頭に変わってからは、職員室の前を走って通過しようとするものなら、たちまち怒鳴り声で呼び止められ、きつい説教を受けなければならなかった。もし、この陶製のタイルが敷き詰められた土足禁止の通路が職員室の前に通されていたとしたら、少なくとも今よりはもっと綺麗なまま保たれ、今では円形を残すのみとなったこの模様には実際何が描かれていたかは簡単に知ることができたが、繰り返すが、教頭が赴任したのは私が小学5年以降の話なのであった。

 ようやく私が別館のドアに手をかけようとしたとき、ドアの方が勝手に開き、中から他のクラスメートが出てきた。クラスメートは全員小学生になっていた。

 

第1回


2013/12/11 - 西門