意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(41) - (45)

※前回

余生(36)-(40) - 余生

 

私はリビングに行って、ネモちゃんに

「先生て何歳?」

 と尋ねると

「25歳か35歳」

 と返ってきた。こんな風に数字が離れるのはおそらく、年齢の話になったとき、ネモちゃんが聞き取れたのは

「◯じゅうごさい」

 の部分のみだったからと推測されるが、困ったことに、私が見た感じでも、教師は25歳にも35歳にも見える。私がネモちゃんの担任を見たのは入学式の日の1回きりだが、そのときクラスは3組まであり、全員が女の教師で、ネモちゃんの担任はその中で1番若かった。若い女教師ということで、ネモちゃんは

「ラッキー」

 と家に帰ってから喜んだが、私もかつての小学校1年のときの担任は若めの女で、入学したての私はやはり年寄りじゃなくて良かったと胸が弾んだが、実は若い教師の方が生徒への当たりはきつく、私はしょっちゅう椅子を没収されたり、校庭を走らされたりした。引き出しを丸ごと取られた生徒もいた。ネモちゃんの担任はおっとりとした小太りの女で、時代も違うのだから、まさか体罰じみたことは行わないだろうが、生理がきつかったりすれば、言葉が荒々しくなるのかもしれない。私のかつての担任も、罰を下すときは、やはり生理がきつかったのかもしれない。当時の私にそういう知識があれば、あるいはもっと穏やかな学校生活を送れたのかもしれない。

 

 入学式が体育館で行われた後、教室で担任の挨拶が行われた。ネモちゃんは窓際の前から2番目の席で、すぐ後ろの席では、その席の母親がすぐ脇で、支給された教科書や交通安全ブザーを熱心にビデオにおさめていた。私は後ろのロッカーの前で、窓際から校庭を眺めていた。すると眼鏡をかけた父親の1人に声をかけられ、その人は去年の体育祭のときに、ムカデ競争に出てもらったEさんであった。

「クラス同じになりましたね」

 とEさんはにこやかに言ってきて、私はそのときまでEさんのお子さんが、ネモちゃんと同級生だということを知らなかった。正確に言えば、朝、体育館でスリッパに履き替えて入るときに、Eさんを見かけた気がしたが、私は半年以上も間があいていたからEさんの苗字が本当にエハラであるのか自信がなく、気づかないふりをして無視をしようと決めていたのである。

 体育祭のとき、体育委員は5人いたので、競技ごとに担当を決めようということになり、私はムカデ競争とピンポン玉運びリレーの担当者となった。他には長縄跳びや綱引きがあったが、こちらは競技人数が多い上に点数が高いため、運動音痴の私は、少人数でマイナーな競技の担当となった。私としても気楽であった。しかしムカデ競争はある程度練習をして息を合わせておかないと、まともに進むこともできない。練習日は2日あり、K地区内の運動公園の芝生のところで行われたが、ついに全員が揃うことはなく、その度に私は先頭や3番目に入り(休む人は毎回違う)代役をつとめ、そして本番では案の定ビリであった。が、私はとりあえず本番に全員が来てくれたことに感謝し、打ち上げではEさんに何度もお礼を言った。Eさんは2回とも練習には参加した。ちなみに綱引きでは1位となり、総合でも3位となったので、それはK地区始まって以来の快挙だったので区長や老人会の人らも大変上機嫌となり打ち上げでは、体育委員を延長しないかと持ちかけられた。私はその時はビールも飲んでいたからやってもいい気がしたが、もし他の人が乗り気でなかったら浮いてしまうので、曖昧な返事をした。

「痩せましたよね?」

 とEさんは私に言い、しかし私は以前は太っていたこともあるが、半年前は今と同じ体重だったので、おそらく何かの話題を出さなければと考えたEさんが、たまたまスーツを着た私がスラっとして見えたので、言ったのではないか、と私は分析をした。そこからスポーツの話となり、Eさんは週に1回バトミントンをしている、と言った。小学校の裏にある公民館内に体育館があり、市内在住ならかなり安く借りることができる、とEさんは言った。Eさんは痩せ型である。「バトミントンなら、最低2人いればできるから、気軽ですよね」

 と私は話を合わせた。対する私は仲間内でフットサルをやっていたことがあるが、通常なら10人、最低でも8人集めなければならなかったので、やっていたころは、いつもちゃんと人数が揃うのか気を揉んでいた。いつのまにか、やらなくなった。

 ところでEさんが体育祭でムカデ競争で足並みを揃えている一方、Eさんの奥さんはピンポン球運びリレーに出ていたので、やはり私の担当であった。Eさんの奥さんはつり目で、少しきつい性格なのではないかと私は勝手に判断し、競技の説明をする時(何m走るか、とか)私は緊張をし、言葉も途切れ途切れになってしまったが、奥さんは熱心に聞いてくださり、

「球落としたらやばいですよね」

 と口元をゆるめた。50mの距離を再現するために、およそ25m離れたところで区長の1人にポールを置いてもらい、そこを折り返しとして割り箸で球を挟んで走ってもらった。奥さんはアディダスのピンク色のジャージのズボンに、白いTシャツを着て、首にはタオルを巻いていた。9月でまだまだ残暑は厳しく、練習の番が回ってこない人は、みんなフェンス際の木陰で休んでいた。私は普段から箸の扱いはうまく、豆類でもなんなくつまめるし、プラスチック製の箸ならともかく、ピンポン球運びリレーでは木の割り箸を使うので、ピンポン球なんてまず落ちないと思っていたが、いざやってみると、思いの外ピンポン球の表面は滑りやすく、私は何度も芝生の上に落とした。ようやくゴールすると、奥さんに

「下手ですね」

 と笑われた。奥さん、と言うと私よりもずっと歳上の感じがするが、実際は1歳か、2歳歳上なくらいである。後で名簿を確認したらサトミさんという名前だった。次の週に本番となると、誰もピンポン球を落とさずに運ぶことができ、K地区は1位でゴールすることができた。しかしピンポン球運びリレーは朝一番の種目であったため、イマイチ盛り上がらなかった。

 体育祭の打ち上げは当日の4時30分から、K地区の集会場で行われた。入り口にある木でできた表札には「老人憩いの家」と書かれ、広間には畳が敷かれていた。その打ち上げにはサトミさんはおらず、最初はサトミさんもEさんも打ち上げには参加しない予定だったが、Eさんが後から来た。私が家から集会場へ行く道を歩いていると、犬を散歩させているEさんに、郵便局の前でばったり出会い、誘ったのである。犬を散歩させているEさんは昼間と同じ格好をして、足元だけサンダル履きであった。昼間は白地に群青のラインの入ったスニーカーを履いていた。昼間の強い日差しを受けて、顔は真っ赤になっていた。

「筋肉痛とか大丈夫ですか?」

「もうヤバイですよ」

 私はその時はEさんの趣味がバドミントンだとは知らなかったので、そんなことを話したのであった。慰労会に参加しないんですかときくと、Eさんは慰労会があることを知らず、私は区長の周知の甘さに腹が立った。費用は区で持つことになっているから、主だった人のみで済ませてしまうつもりなのかもしれない、と私は邪推をした。しかし、練習の最後には大区長のキクチさんが

「一席設けましたので……」

 とマイクを使って言っていたので、単にEさんが聞き逃していただけなのかもしれない。

「ぜひご夫婦で」

 と誘うと、私はもしかしたらEさんはそういう集まりに顔を出すのが嫌で、慰労会なんて聞いていないと主張したのかもしれないが、たとえそうでも予定があると断れば済む話なので、私は「せっかく出てもらったんだし」と構わず誘い続けた。

「費用は区が持ちますよ」

 とも言いそうになったがやめた。Eさんは犬のリードを手にぐるぐると巻きながら、しばらく考えていたが、やがて

「行けそうなら顔を出します。ちょっと聞いてみて」

 と答えた。

「良ければ奥さんも」

「それはちょっと」

 郵便局の隣は竹藪となっていて、無数の竹が風に揺れており、だいぶ気温も下がってきていた。Eさんの犬のリードの色は赤だった。

 

 私はその夜に家に帰ると、お土産として持ち帰った、余った惣菜と寿司をひとつの容器にまとめてビニールの風呂敷で包んだものを、志津とネモちゃんに渡して食べさせた。結構遅くまで飲んでいたつもりだったので、こんな時間まで起きている2人に私は驚いたが、時計を見るとまだ7時を過ぎたところだった。義父がテレビで巨人戦を観戦していた。義父は5点以上差がつくと、勝っても負けてもその時点でテレビを消すので、今夜はまだ接戦であった。義母がどうやって帰ってきたかを聞いたので、私は送ってもらったと説明をした。帰りは区長のひとりのオカダさんの車に乗せてもらい、送ってもらった。車はオカダさんの奥さんが運転をしていた。区長の奥さんたちは、こういう地区の会合がある時は、お勝手に詰めて世話をする。私が瓶ビールを取りに行った時には、短髪の太ったオカダ夫人は自分でビールをついで飲んでいた気がするが、気のせいだったのかもしれない。私は最初、ひとりで歩いて帰るつもりで、途中で妻に迎えに来てもらえばいいやと思っていたが、案の定電話は繋がらなかった。予想よりも早く終了したから、風呂にでも入っているのかもしれない。仕方なくゆっくりと夜道を歩いていたわけだが、そこは車通りのほとんどない裏道で、裏道のため道路の整備は行き届いておらず、アスファルトは所々でひび割れていた。だから私はそれに足を取られないよう注意をした。

 しばらく歩くと私を後ろから追い越した黒いセダンが、私の少し先でとまった。助手席の窓が開き、中から顔を出したオカダさんが

「乗っていきなよ」

 と声をかけてくれた。私はまるで最初から乗せてもらうことをあてにしていたみたいで、みっともない気がしたが、オカダさんは酔っ払っているからそこまで頭は回らないだろうと判断し、私は後部座席にお邪魔した。