意味を喪う

「意味をあたえる」のfktack( http://fktack.hatenablog.jp/ )の小説です。不定期に更新します。

余生(61) - (65)※最終回

※前回

余生(56)-(60) - 余生

 

 

 私と部長は大学を卒業してからも、こうしてたまに会って、酒を飲みながら話をする関係を続けた。それは10年以上に及ぶが、その間に部長は3回、私は4回職を変えた。部長は今は都内に住み、都内の会社に勤めていた。営業職であるが、ルート営業なので、給料はあまり良くないと言っている。

 私たちはゴールデンウィークだったので、とりあえず駅を出てすぐの角地にある焼き鳥屋に入った。とても混雑していたので2階席に案内された。階段がとても急だった。テーブルの上にはメニュー表がなく、2人とも生ビールでいいので、私はとりあえず生ビールだけ注文しようと思い、店員のところへ出向いたが、姿が見えないので1階に降りなければならなかった。やがてビールを頼む際にメニューをゲットして焼き鳥を頼み、少ししてから焼き鳥も運ばれてきた。

 私たちの隣の席には若い恋人同士のような男女が座っており、2人とも部屋の中があついあついと、手のひらを団扇にして顔をあおいでいた。私はもともと寒がりであるから、あまり暑さは感じなかったが、窓も閉め切られ、2階の畳は十分に日光を吸い込んだであろうから、少しは暑いのだろうと推測した。畳は日に焼けて変色していた。

 私たちが焼き鳥を食べていると、そのうちに部長はモツ煮が食べたいと言い出して、注文をした。その後もメニューを見続けているので、私は部長には今、恋人がいるのかいないのかについて考える時間ができた。と言うのも部長は女にとてもモテるが、しかし本人はそれを喜んではおらず、付き合っても2、3ヶ月で別れてしまう。付き合い始めたり、別れたりする度に私のところへメールが送られてくるが、最近では私はいちいち返信するのも億劫になり、だいたい3回に1回しか返信しなくなった。だから、私は部長が今女と付き合っているのかどうか、はっきりとはわからなかった。

 しかしながら、ひと月ほど前に、「婚活終結宣言」が私の元へ届いた。部長は私よりもずっと結婚願望が強く、そのせいで潔癖なところがあり、女性と付き合っても長続きしないのではないかと、私は分析していた。

 私は部長がメニューを眺めている隙に携帯の画面を開き、最近のメールをチェックしてみることにした。受信ボックスには業者からのメールが数多く入っていたが、そのうちに部長のメールが見つかり、そこによれば、今は教師と付き合い始めたと出ていて、私はそれはネモちゃんの担任かもしれないと思った。

 ネモちゃんの担任は25歳か35歳の女教師であるから、35歳なら38歳の部長とは釣り合いが取れている。私が部長ならは25歳でも歓迎だが、部長は自分よりも若すぎると、話が合わなくて駄目らしい。

 しかしその後、部長の口から付き合い始めた教師についての話が出ることはなかった。代わりに部長は最近では甥っ子と休みの日には遊びに行くようになり、私に

「子供が喜ぶから一度鉄道博物館に遊びに行くといいよ」

 とアドバイスをくれた。しかし私の家は2人とも女の子なので、妻も女なのでほとんど鉄道には興味がなく、どこか出かけるにしても車で行くばかりなので、あまり楽しめそうになかった。私も鉄道には全く興味がなかった。

 30歳を過ぎてほとんど趣味を持たない私は、何か趣味を持った方がいいと考えていた。今の仕事に就いて腰を痛めた私は、父親の紹介で行った接骨院の整体師に、

「フットサルでもやりません?」

 と誘われた。私は子供の頃はJリーグを熱心に見ていてサッカーは好きだったので、すぐに友人に声をかけた。さらにたまたま実家に帰ったら弟がいたので、弟にも声をかけたらやるというので、それなら友達も連れてこいと言い、なんとか1チームの人数である5人を揃える目処がついた。そして整体師の人(私よりも5歳若い)にメールをしようとしたら、アドレスを聞いてなかったので手紙を書いて父に渡してもらった。その頃はもう私の腰は完治していた。日程を決め、私はフットサルはやったことがなかったので、その日までにシューズを買いに行ったりしたが、いざ当日になると、午後になって東日本大震災が起きて、結局中止となってしまった。しかし当初私は大地震と言っても、私の家の方は揺れただけで、被害も大したことはなく(実家の瓦が落ちる程度)やるもんだと私は思っていたら、私の友達の1人が「母親が行かないでくれと言うからいけない」とメールしてきて、私は人数が揃うか不安になった。フットサル場に行ってみると、照明は全て落とされ真っ暗になっていた。少ししてから整体師の人が来て

「スタッフの人ばっくれちゃったみたいっすね」

 と言い、その口調は接骨院での時よりもフランクであった。話によると、雨が強かったりすると、スタッフが勝手に店じまいにすることは、よくあることのようだった。そのときは私の友達は1人来ていて、また、整体師の人の後ろにも1人の彼の友人がいて、友人は色黒でがっちりしていてボディガードのように見え、私はなんだか、首脳会談でもしているような気持ちになった。そして、じゃあまた今度やりましょうということになって、別れた。ちなみに弟の友達の中には公務員の人がいて、公務員は災害時には庁舎へ詰めなければならない決まりなので、例えフットサル場の照明がついても、人数は揃わなかった。その時来ていた私の友人は、今は市外に住んでいて、普段なら30分くらいで車で来れる距離だが、地震のせいで国道では大渋滞が起き、その日は休みだった友人は昼過ぎに起きてから午後4時頃に家を出て

「本当に車が全然進まなくて大変だった」

 と言った。私はそんな大変な思いをして来てくれたのだから、このまま帰すのはしのびないと思い、駅前に行って飲もうかということになった。その人はじゃあ今日は実家に泊まると言い、その人の実家は私の家のすぐそばだった。それから私は一度家に帰って、妻に車を出してもらって、友人の実家経由で駅まで行き、駅前の2階にある居酒屋に入った。1階はファミリーマートで、すぐ隣には駐在所があった。居酒屋のドアの前には盛り塩がしてあり、店は通常通り営業していた。オーダーを取りに来た女の店員に、

地震でもやるんだね」

 と声をかけると、私は居酒屋で女の店員に声をかけるのは、注文以外では、なんだか私がこの女を誘惑しているような気持ちになるので、私は落ち着かなくなった。それはおそらく部長のせいで、部長は女に大変モテると前に書いたが、部長が居酒屋でアルバイトをしていたときには、よくレシートや紙ナプキンの裏などにメールアドレスを書いて渡されたと言うのだ。部長は相手は酔っ払いだからだと、その理由について述べたが、私はそれを素直に信じなかった。

 酔っ払いといえば、私が組合で働き始めたとき、それは前に述べたとおり建設業者の組合で、私はそこに勤める直前まで、とあるマンツーマンの塾にアルバイトとして勤めていた。3月に受け持っていた生徒が第一志望の高校に受かり、私はそれから職安に行って組合の仕事を見つけたので、そのことを塾長に報告した。塾長はBMWに乗った背の低い男で、髪は真ん中できっちり分けられており、少し太っていた。講師の間では芸能人の誰かに似ているという話だったが、それが誰であるかは忘れてしまった。塾長の席は、塾長と言ってもこの人は経営者なので直接生徒に教えることはなく、いつも8時過ぎにやってくるのだが、入口に入ってカウンターの向こうの左の席なのだが、そこにはノートパソコンが置かれていた。以前私は生徒の名前を間違えて報告書に書いたことがあったのだが、このとき塾長はこのパソコンのワープロソフトを立ち上げて、生徒の名前を打ち込み、それを何倍も何倍も拡大してどこが違うかを指摘して、私に注意したことがあった。こう書くといかにも嫌味ったらしいやつだが、本当は生徒の名前はとても書き順が多いので、親切のつもりで拡大したのかもしれない。

 塾長に就職が決まったことを報告すると、塾長は

「おめでとう」

 と言ってくれた。そして

「職人はとにかく沢山お酒を飲んで付き合いが多いから、それに付き合ってたくさん飲めないと勤まらないよ、特に川口の職人はたくさん飲む」

 とアドバイスをくれた。私はそれほどたくさん酒を飲めるタイプではなかったので、その言葉に不安を覚えたが、もう採用は決まってしまい、今日の昼間は指定された労働金庫に通帳を作ってしまってきたところなので、もう後戻りはできなった。労働金庫は駅前の神社の裏手にあり、神社の真裏にはテニスコートがあって、テニスコートの道向かいが、労働金庫だった。テニスコートでは中学生のテニス部が練習をしており、ちょうど前衛の人たちがネットの脇から並んで、順番に後衛の人が高く上げた球をスマッシュで打ち返す練習をしていた。私は中学のときはテニス部だったので、この練習をしたことがあったのでわかった。私は1年のときは後衛であったが、途中から人数合わせで前衛になった。後衛も前衛もやったことがあるのは私だけだったので、私はそれだけで他の人よりも上手くなった気がした。実際は下手くそだった。私は顧問の教師が頻繁に体罰を行う教師だったので、あまり部活には顔を出さなかった。顧問はスマートで若く、顔も美形でマネキンのような顔をしていたので、美形だからよく人を殴るのだろうと、当時私は思った。私も1度職員室で、ユニフォームを取りに来なかったという理由で殴られた。私は鼻の頭の硬い部分に裏拳をくらい、殴られながら私は、もう少し上だったら鼻血が出て大騒ぎになるから、この教師は普段から殴り慣れているだけのことはあるな、と感心をした。こうして冷静さを保つことが、教師に対する反抗だと、このときの私は考えていたのである。しかし今思えばこれは相手の思う壺であった。

 美形の顧問は、そのあと書道の女教師と婚約をした。「書道の」とつけたが、女教師については、私は何の面識もなかったので、適当に付けただけである。見た目が書道教師っぽかったのだ。

 私は書道教師はずんぐりして目も小さかったので、美形の顧問とは、とても不釣り合いだと思った。同時に、結婚してそのうちに、女教師を定期的に殴るようになると私は予想し、女教師を気の毒に思った。しかし美形の相手なら、女教師も少しは我慢しようとか思うのかもしれない。または、実家の父母が一度嫁いだのだから簡単に音を上げるんじゃないと、叱りつけるかもしれない。その後については私は卒業してしまったので知らない。

 私が3年になって部活を引退してしばらく経ったある日、美形の顧問はある女生徒を事務室の前で蹴り飛ばし、それが問題になっていると、噂が流れた。事務室の前の廊下は、あまり生徒が通らないため、他の廊下よりも光沢があった。

 

<了>