2014/1/15
両親はもともと家のどこで煙草を吸っても良い決まりとなっていたが、私が喘息となった時、医師に子供の前では煙草を吸わないようにと注意を受けた。それ以来父の部屋が唯一の喫煙ゾーンとなった。しかし朝起きた時や買い物へ行く前などは、母は台所で煙草を吸うことも多かった。
居間では誰も吸わなかったが、たまに叔父が祖母と従姉妹を連れてやってきた時などは、叔父は煙草を吸うので、母は台所のテーブルの下から灰皿を出してきて、居間のテーブルの南側に置いた。南の端が窓だったからである。その灰皿は普段私の両親が使用しているものではなく、両親は普段金属製の四角い、縁に象形文字のような模様の入ったものを使用していたが、叔父に出されたのはガラス製の円形のでこぼこしたデザインのものであり、へこんだ部分に吸いさしを置いた。
これは余談だが、灰皿と言って思い出したのだが、私が小学校1年生の時「さんまの名探偵」というファミコンのカセットがあった。そこでたかゆきの家に行くと応接間のテーブルの上にはライター付きの灰皿が置かれていた。そのままではライターを入手することはできないのだが、灰皿を叩いて破壊すると、ライターが外れて入手することができるのだった。しかし、ライターがくっついて離れない灰皿とは、一体なんなのだろうかと、子供ながらに不思議だった。大人になったらそういうものを目にする機会もあるだろうと思ったが、今は喫煙者の数自体減っている。
たかゆきは、文珍と紳助を殺した犯人なのだが、もしかしたらもうひとりくらい殺したのかもしれないが、プレイしたのが小学校1年だったので忘れた。しかも私の家にはファミコンはなかったので、友達の家の2階で、友達の背中越しに目撃しただけだ。
たかゆきは、資産家であり金庫の中にはアフリカの星と呼ばれる大きなダイヤもあった。家も大きく娘の部屋や自分の書斎、前述の応接間と、さらに金庫室まであった。最初の犠牲者である文珍は金庫室で殺された。それだけでは大きな家とは言えないかもしれないが、その他の登場人物であるよしもとの芸人たちは、1部屋か、せいぜい2部屋だ。そうなると応接間の灰皿とライターもかなり高価なものであると思われ、私は小学校1年でありながら、それが簡単に割れるのは不自然だと思った。
そうやって灰皿を壊して入手したライターは、古新聞を束ねていたビニール紐を切る際に使った。
ゲームの話はこれくらいにして話を少し戻し、私の通っていた病院について語る。
私が通っていた病院とは熊谷市にあり、私の家からは車で30分ほどかかった。私の家の周りには坂が多く、何度か登ったり下がったりしているうちに片道2車線だった道路は1車線となり、やがて平坦で退屈な道が続いた。私は後部座席にごろんと寝転び、そうすると窓から空と電線がよく見えた。電線は複数で構成されている。車が走り続ける間、電線はいつでも窓わくと平行に走るというわけではなく、上下に斜めに動いたりして、時には前後の電線と交差したりすることもあった。
ところで私は今でもそうだが車酔いをしやすく、子供のころは調子が悪かったりするとすぐにゲロを吐いてしまう子供だった。後部座席には水色のプラスチック製のバケツが常備してあり、気持ち悪くなればそこに吐けば良いということだった。しかしバケツに吐いたゲロは、周囲に染み込むことなくそこにとどまるので、濁った胃液が、バケツの底で車の揺れに合わせて左右へ動き、グロテスクなので、私はむしろシートに吐いてしまう方が気分が良かった。しかしどちらにせよ吐かないのが望ましいので、私は車内ではあまり吐かないよう心がけた。私が吐きやすいのは車だけではなく家でもなので、寝室の布団の枕元にもバケツは置かれ、間に合った時などはバケツに吐くことができたが間に合わない時もあった。もちろん余裕があればトイレに吐くことが推奨されたが、バケツにしろ便器にしろ何処かへ向かって吐くのは嫌だった。
両親は私がゲロを吐きまくっても怒ることはなかったので、私は居間の食卓を前にしても気兼ねなく吐き、その日家族は鍋を囲んでいた。私は途中までは調子よく食べていたが、気持ち悪くなったので胃の中のものを全部吐き出し、そうすると胃が空っぽになった気がしたので
「おなかが空いた」
と言うと父親は笑い、「じゃあ食べろ食べろ」と言うので、私は子供のころから野菜よりも肉が好きだったので、私は肉団子を選んで食べた。他人からしたら、体調が悪い時に肉類を口にするのは良くないと思うかもしれないが、両親は食欲があるだけまだマシと考え、また吐くなら吐けばいいやと思っていた。
(続く)
第1回