余生(20)
※前回
私は車を降りてから、前日にコピー用紙をカードサイズに切った整理券を持って、トラックの中に待機しているひとりに誰が1番に来たのかたずねてまわった。到着した順に配らないとあとからうるさいからで、そうしたらその人は私が見たこともない別の水色の整理券を見せてきて、手書きのフェルトペンで書かれた数字は「7」となっていた。「1」をさがしていくと、黒沢さんだった。黒沢さんは目つきは鋭くて口数も少なかったが、こういうマメなところがあり、水色の整理券は黒沢さんが用意してくれたものだった。
「おめえらいつも遅いからさ、俺が配っといた」
「すみません、助かりました」
と私が礼を言うと、黒沢さんは無精髭の生えた口元を緩めた。あるいは無精髭とは私の記憶ちがいで、顔のシミだとか皺とかが、髭に見えたのかもしれない。黒沢さんは60を過ぎていて、若い頃、現場でたくさんのアスベストを吸っていたので、その後のレントゲンにはそれが映り、やがて肺がんになって死んだ。なぜ今までのレントゲンでは映らなかったのかと言えば、今回は特定健診用の、特注のレントゲンだったからである。私は健診の後黒沢さんに電話をして事務所に来てもらい、今まで行った作業やその時期について、アンケートを取って本部へ提出した。本部へ出す書類は上から2番目の引き出しと決まっていた。1番目は、国保組合行きである。やがて黒沢さんは、アスベストを原因とする労災が認められた。労災5号用紙を持ってきたときの黒沢さんはまだ元気であり、昨日病院を退院したところだと言ったので、私は書類の棚から7号用紙を出してきて渡し、医者に記入してもらう部分に鉛筆でマルをつけて休業補償が1日いくら出るかを、パンフレットを広げて黒沢さんに説明をした。建物の中は冷房がつけてあり、冷房の風で、パンフレットがめくれそうになった。検診が行われたのは9月で、それから1年近くが経っていた。私はパンフレットを手で押さえた。説明が終わると黒沢さんは軽トラで帰って行った。